2024年3月11日月曜日

まわりみち文庫でのトークイベント

 



昨日、弘前市のかくみ小路、まわりみち文庫でトークイベントをした。狭い店なので、8名のこじんまりしたものであったが、なんだか参加者との距離が近いせいか、飲み屋で話しているような感覚である。いろんなところで話してきたが、距離が近いので、持ってきた本を回し見ることもできるし、プロジェクターなしで、コンピューの画面を直接見てもらうこともできて、面白い経験であった。

 

こうした本屋でのトークは、一般的にはサイン会などと併設して開催するため、参加者は著者のファン、あるいは本を読んだことがある人が多い。私の場合は、年配のファンが多いので、年配の方ばかり来ると思っていたが、実際は、サクラで呼んだ知人と、もう一人の女の方を除く5名は30から40歳代くらいの若い男の方で驚いた。これまで本についての講演は、三師会、歯科医師会、ロータリークラブ、弘前市、弘前ボランティア協会、養生会、紀伊国屋書店弘前店などで行ってきたが、どの講演会も聴衆の平均年齢は60歳以上、若い人はほとんど見かけない。これは大変嬉しいことであった。

 

私の本来の仕事は歯科医で、それで生活しているが、こうしたブログをして、数冊の本を出版することで、想像もできない人と会ったり、面白い経験を味わえた。こうしたことをこのトークイベントでしゃべった。開業する時に、私の実家である尼崎市で開業、あるいは大学のある鹿児島市で開業、そして家内の実家がある弘前市で開業という3つの選択肢があった。多分どこで開業しても矯正歯科専門歯科医院としては何とかなったとは思う。ただ付き合う人は、歯科医の人に限られ、それ以外の人と付き合うことはまずなかったと思う。数年前まで弘前ロータリークラブに入っていたがせいぜい歯科医以外の人と知り合うとなるとこうしたクラブか高校の同級生くらいであろう。

 

多分、弘前に来て、この街とそこに住む人々に興味をもったことが、ブログを続けていることや郷土史を中心とした本を出版する理由となった。尼崎市、あるいは鹿児島市に住んだならこんなことは絶対になかったと思う。自分自身としては、津軽、あるいは弘前というのはまったく別世界で、冬の雪ひとつとっても今まで経験したことのない場所であった。調べると、景色や風景だけでなく、文化そのものが他の地域とは大きな違いがあり、さらに独特な個性的な人物を輩出しているのがわかった。そうした人物の履歴を追ううち、津軽の素晴らしさに気づくようになった。おそらく元々、ここで暮らす人々は、それが当たり前すぎて、それほどすごいとは思わないだろう。こうしたブログで知り合った、九州、久留米のお医者さんのおばさんは、縁があって、明治時代に弘前から九州、久留米に嫁いだ。死ぬまで故郷に帰ることはなかったが、いつも孫に津軽の良さと思い出を話し聞かせた。子供心に久留米にいて津軽への強い憧れがあったという。

 

千葉商店、すずめのお宿、イトーヨーカドーもなくなり、弘前市もなんだかどんどん衰退してしまうのかと寂しい気がするが、それでも若い人の力を借りて今の弘前を後世に残して欲しい。一旦なくなってしまうと、もはや二度を復活することはなく、なくなるのはあっという間だし、簡単である。行政、商工会議所、あるいは若者グループを巻き込んで、地域の活性化に励んでほしい。

 

こんな小さな街ではあるが、世界的な現代美術家の奈良美智さんはいるし、シソンヌのじろうさんや王林さんもテレビで活躍しているし、この4月からのNHK7時のニュースには副島萌生もメインキャスターとして登場する。大したものである。


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