2024年3月7日木曜日

矯正歯科での訴訟

 

 




あと二年ほどで医院を閉鎖する予定であるが、開業して29年、悔しいが一度だけ、患者から訴訟を示唆され、示談にしたことがある。内容は守秘義務があるために、詳しくは書けないが、通常の不正咬合の成人患者で、特に問題なく治療が経過し、あるときに顎が痛くなったという電話があったので、近所の歯科医院に行くように言った。これが問題であった。そこの歯科医院では、独特な咬合理論があり、この治療法では顎関節症は治らない、私のところでの矯正治療をしなさいと勧められた。患者はこの先生の言を信頼し、そこでの矯正治療費分(私のところの2倍)を返金するよう、内容証明書付きの手紙が来た。従わない場合は、訴訟を示唆された。顎関節症と咬合との関連は、現在の理論では否定あるいは、少なくとも関連はないとされているので、裁判にすれば、勝訴すると思われたが、そうしたことで時間を割くのは無駄なので、そのまま示談で処理した。この時に医療訴訟についてかなり勉強したので、悔しい思いがしたが、高い勉強代と思っている。不思議なことにこの先生は能天気にいまだに年賀状で家族写真を私のところに送ってきたり、県歯科医師会の医事紛争裁定委員会の委員をしている。

 

まず医療訴訟については、患者側が勝つ可能性は相当低く、なおかつ弁護士料などを考慮すると、100万円以下の訴訟は全く無意味な行為となる。少なくとも数百万円以上の賠償金が期待できる案件でないと医療訴訟は、負ける可能性が高い上に、さらに多くの出費を余儀なくされる。具体的に言えば、弁護士料が少なくとも百万円、裁判が長引けば、さらにかかる。そして医療過誤を説明する証人、この場合は医師への謝礼は、交通費を含めると10万円から数十万円かかる。さらに一人では足りず、複数の医師、できればその道の権威、大学の教授を呼ぶとなると、大変な費用が必要となる。アメリカの裁判では、こうした弁護士料なども含めた賠償金が支払われるために、訴訟を起こす側に金銭的な負担は少ないが、日本では、原則的には訴訟を起こす患者自身が持つ場合が多い(医療訴訟では請求額の1割)。さらに訴訟には多くの期日を要するために、口では訴訟してやると言っても、実際に訴訟まで行くことはほとんどないのが実情である。

 

私の弁護士によれば、医科や他の職業でもそうであるが、内容証明書で送られてくる手紙の多くは、知人などに入れ知恵されて書かれたものが多いそうだ。いざ訴訟ということで弁護士に相談に行き、費用などの詳しい説明を受けると断念する場合が多い。仮に勝訴しても、その賠償金に比べてかかる経費があまりに多いからだ。例えば、インビザラインで治療した結果に満足せず医院を訴えたとしよう。患者が治療費100万円と精神的な慰謝料100万円の計200万円の賠償を求めて、実際に勝訴して半分の100万円の賠償金が入っても、弁護士料やその他経費で赤字となる。もちろん訴えられた側も弁護士を雇うため、着手金と成功報酬などで大きな支払いが必要となる。いずれも弁護士だけが儲かることになる。また医師、歯科医師の場合、ほとんどの先生は賠償保険に入っている。私の場合も、一応保険会社に連絡したが、実際に過失があり、裁判になった場合に支払うもので、そうでない場合は保険が適用されないということであった

 

日本がアメリカのような訴訟大国になってほしいわけではないが、100万円以下の損害賠償ができないのは患者側からすれば困ったことである。クレームと訴訟の間、できれば歯科医師会、医師会のクレーム担当委員会と第三者、できれば利害関係のない弁護士が、患者と歯科医、医師双方から意見を聞き、仲裁できるようなシステムはないだろうか。以前、学会で兵庫県歯科医師会の苦情相談委員会の講演があった。ここでは歯科用セファログラムの検査をしないで矯正治療をした場合は、訴訟されるとまず負ける旨を先生に説明し、示談するように勧め、逆に患者の誤解による場合は納得するように説明する。青森県歯科医師会や日本臨床矯正歯科医会でも患者からのクレームをまとめて通知しているが、それを見ていると、患者の誤解や歯科医の説明不足も多いが、中には明らかに歯科医側に問題がある場合がある。例えば、治療に不満があり、中断を希望しても一括払いの治療費が全く返らない。これは法律的にも治療経過に準じて返金する必要があり、そうしたことを歯科医が知らない。また転住のために転医を希望しても紹介してくれないのも医療法に触れるし、セカンドオピニオンのためにそれまでの資料と紹介状を求めても拒否するのは、患者の権利、リスボン宣言に触れる。もちろん裁判になると負ける可能性が高いが、そこまでしなくても歯科医師会や医師会で調節できる案件である。団体の信頼を高めるためには、公平な立場から先生への忠告も必要となろう。


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