12/20に診療所を閉院した。1995年2月22日に開業したので、30年と10か月となる。五年前から子供の新規患者を、二年前からは全ての新規患者を断り、ここ1か月は保定の患者だけを主として診てきた。保定一年半以降の患者さんは、検査して問題なければ終了とし、それ以外の患者は弘前市の矯正歯科医に紹介状を書いて診てもらうことにした。新型コロナ問題の時期、どうしたことか成人の新規患者が増え、1年間で130名くらいが治療を始めた。外科的矯正以外の患者は何とかマルチブラケット装置による治療は終了できたが、保定期間が不十分なのでほぼ全て紹介することになり、矯正歯科医の先生にはご迷惑をおかけする。
4人の患者さんからお礼のお手紙をもらったり、かなり多くの患者さんからお礼のお品やお言葉をいただき大変嬉しく思った。こうしたことは開業して30年間でも数えるほどしかなく、やめる段階で患者さんから多くのお礼に言葉をいただき、改めて感謝する。矯正治療はかなり長い期間がかかるため、患者とドクターの関係が一般歯科以上に濃いためだと思われる。また治療前後で明らかな変化が見られるために患者にとってもその変化がはっきりわかるためなのだろう。
矯正治療は本当に難しく、正直にいうと綺麗に仕上がったのは全症例の2割くらい、まあまあ6割くらい、そしてあまりうまくいかなかった症例も2割くらいあり、自分自身の臨床技術のレベルに低さに後悔している。もっとうまい先生で治療を受ければ、いい仕上げになったのかもしれない。矯正はワイヤーの力で歯を動かすという、素人からすれば、魔法のような方法で歯を動かす。それゆえ、ブラケットの付け方、ワイヤーの選択、曲げ方、ゴムの使い方、など細かなテクニックの集合体で、矯正歯科医によって治療法は違う。ただ弁解ではないが、1割くらいは誰がしてもうまく治らない症例がある。ほとんどは舌習癖などの機能的な問題によるもので、一例を挙げると、前歯を後ろに、奥歯が前に動かして抜歯した隙間を閉じるとしよう。通常は両方が互いに動いて隙間が閉じる。前歯だけ入れたい場合は、ヘッドギアーや矯正用アンカースクリューで奥歯を固定する。ただごく稀に舌を強く前歯に当てる癖のために、奥歯ばかりが前に動き、ひどいケースのなると前歯に動揺が出るため、治療開始前より前に動くことがある。通常の力学的にはありえない動きである。また矯正治療でもっとも難しい症例の一つに前歯が開いている開咬という不正咬合があるが、軽度の後戻りも含めると半分くらいは前歯が噛まなくなる。後戻りである。こうした舌が関与する問題は非常に多く、舌機能訓練などもしているのだが、どうしても咬まないという問題が起こる。難しい。
25歳で大学を卒業し、最初3年間小児歯科で研修を受け、小児歯科認定医も取った。ただ60歳になって泣き騒ぐ幼児を宥めて治療する姿は想像できなかったので、当時、出向していた口蓋裂患者のチームの矯正歯科担当医の先生に相談して、転科することにした。同一大学では、基本的には転科できないため、他大学、それも助手(助教)で雇ってくれるところを探していたところ、鹿児島大学歯学部歯科矯正学教室で拾ってもらい、現在に至っている。開業するにあたり、小児矯正歯科での開業も考えたが、当時、弘前には矯正歯科専門医がなかったので、矯正歯科専門で開業することにした。最初は、患者さんが一週間で2、3名しかおらず、当時幼児だった次女をスタッフルームに寝かして家内と二人で、働いた。家賃が10万円と安かったこともあり、一年目から何とかギリギリ黒字で、それ以降は特に経営的に困ることはなかった。矯正治療はかなり高額で、当時、弘前でも百万円と言われていた。青森県の人々の収入が東京の半分なのに、矯正治療費が同じはおかしいと考え、できれば半分くらいにするように考えた。一期基本治療費を20万円、二期基本治療を20万円、それも二年分割で支払うようにし、また兄弟割引をして二人目は10%オフ、三人目は20%オフとし、兄弟で治療を受け、特に処置を必要としない場合は、一人分の調整料(3000円)とした。さらに数年前までは全ての再治療の費用は基本的には取らなかった。料金的に安くして二番目の矯正専門医院開業にプレッシャーをかけるという戦略もあった。さすがに料金を東京の半分までは無理だったが、成人、子供でもトータルで50-60万円くらいに抑えた。
そのため、経費をできるだけ切り詰め、ここ25年は、家内が午前中受付、午後はパートの受付1名、そして常勤の歯科衛生士1名という最小限の構成でやってきた。また技工物は平行模型以外、全て自分で作り、診療の合間、あるいは朝に作るようにした。ここ1、2年は可撤式保定装置(ベッグタイプ、ホーレタイプ)の製作が多く、週に6つくらいあり、製作スピードはマックスになった。他には矯正機材はできるだけ大量購入し、交渉して割引率を高め、印刷はプリントパックとエコタンクプリンターで行った。
少しだけ自慢すると、私が弘前で開業するまで、口蓋裂、顎変形症の患者さんの多くは盛岡の岩手医科大学、仙台の東北大学歯学部に通院していた。東北大学病院では診療は午前中なので、青森から来る口蓋裂患者、多分百人くらいはいたが、毎月、前泊して来院していた。マルチブラケットの治療になるとほぼ2年間毎月通院するため、毎月、親が青森から2日潰して仙台まで治療を受けに来るのは大変だったと記憶している。こちらで開業すると、青森、弘前、五所川原などの津軽地域だけではなく、大館、能代、阿仁などの北秋田からも患者はやってきた。弘前大学医学部歯科口腔外科でもそれまで顎変形症の手術は年間1、2例しかなかったが、今では青森の板垣矯正歯科と合わせて30例以上になっている。1995年から治療を開始した口蓋裂患者は185名、トリチャーコリン症候群などの先天性疾患は46名、顎変形症患者は414名であった。
長いようで短い開業であったが、なんとか終了できてホッとしている。長い間、津軽の人々に助けられ、余所者の私もなんとか生活できた。これからも郷土史を中心に微力ながら地元に還元したいと思う。どうもありがとうございました。
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