2009年3月22日日曜日

長勝寺構 土塁




 この時期は春の彼岸に当たるため、弘前市民の多くは墓参りに行きます。例年、残雪が多く、墓所をスコップで雪の中から掘り起こすこともあるようですが、今年は雪が少なく、墓所までお参りに行けるようです。茂森にある禅林街もこの時期は車の大渋滞で、家族連れでお参りに来るひとも多く、実ににぎやかです。本当に津軽のひとは信心深いひとが多いと思います。関西人の私が最初にびっくりしたのは、それぞれのお寺が大きく、その中に各家の位牌がびっしりと並んでいる点でした。今でこそ墓所がなく、位牌のみのマンション的なお寺も都会にはあるようですが、ここ津軽では寺の中には位牌堂が外には墓所がある構造に昔からなっていたようです。冬場のお参りには中に位牌がある方がよほど助かり、こういった要望から自然にこのような形式になったのでしょうか。

 この禅林街は、曹洞宗の寺のみが33も集まっているめずらしいところで、寺院がさならが林のように乱立していることからこの名前が付けられています。寺といっても、それは立派で大きなものが多く、中都市でこれだけの規模の寺町はまずないと思います。道幅も広く、とくに冬の寒い夜は、そこに立っているとそれは静かで神秘的な感じがします。

 この禅林街に行く時、いつも気になっていたのが、茂森の道路右にちらっと見える、堀のようなものです。高さは3mほどで、その下がトンネルになっている箇所もあり、昔の鉄道跡かなあと思っていました。今回、妻が花を買っているすきに、ちょっと調べてみました。禅林街の横道を進むと民家の裏側に高さ3mくらいの土塁がずっと続いています。300m以上はあるでしょうか。途中、空き地があったので、登ろうとしましたがかなり急なこう配で、足場も悪く、諦めました。土塁の上には松が植えられているようです。それこそ民家の裏に川もないのに土手がずっと続いている奇妙な光景です。

 帰って調べると、昔は禅林街自体がひとつの要塞、出城になっており、弘前城の防衛戦を担っていました。そのため禅林街の入り口に昔ここにあった茂森山をくずし、土塁を作ったようです(長勝寺構)。300年前のもので、そう考えると、やすやすとは登れないようにできていたわけです。ひまなひとは一度登ってみてください。昔の攻めての気持ちがわかるかもしれません。

 何の標識もなく、普通の民家の裏にひっそりとあるだけで、ほとんどの人は気づかないのではないでしょう。せっかくミシュランガイドブックで一つ星に選ばれたのですから、300年前の土塁として標識くらいは立てたらどうでしょう。弘前城のすごいところは城郭だけでなく、こういった周辺構造も残っている点で、最近では若い人の中にも時代ものが好きなひともいるようで、こういったマニアックなものももっと宣伝したらどうでしょう。

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