2009年7月21日火曜日
鹿児島県十島村
皆既日食がきれいに見える所として、鹿児島県十島村のことが新聞やニュースで取り上げられています。皆既日食を見るツアーが20万円以上するため、ツアー客以外のひとが島にやってきて、住人が困っているとのことです。
十島村は、口之島、中之島、諏訪之瀬島、悪石島、平島、宝島、小宝島の7つの有人の島と臥蛇島などの無人島から成っています。村の役場は、鹿児島市にあり、週一便の村営の「十島丸」が鹿児島市から各島を結び、奄美大島にいくようになっています。
もう20年以上前になりますが、鹿児島大学歯学部附属病院の巡回診療で、この十島村に2年ほど行く機会に恵まれました。年4回ほどだったと思いますが、一週間ほどかけて、村営のモータボートのような小さな船に器材を積んで、各島を廻っていきます。南シナ海は外洋で、こんな小さな船では揺れて、揺れて、船酔いには難儀しました。大きな波に突っ込むたびに、運転室のプロペラのように羽が回転する円形の窓からしか外が見えなくなります。それでも、そのうち慣れ、大型の客船の十島丸に乗ると、全く酔わなくなりました。
携帯用の歯科用のユニット、コンプレッサー、といっても合わせて30kg以上ありますが、その他の診療器材を船からおろし、島の診療室まで運び、そこで臨時の歯科診療所を開設します。何時間も船で揺られているため、陸に降りても、なんだか足がふわふわします。まず小中学校の生徒が検診にきます。本土の学校検診と違い、虫歯があればその場で治療です。生徒たちにとっては恐怖の時間だったでしょう。検診終了後に、残された虫歯のある子どもたちの治療が始まります。根っこの治療は一日ではできませんので、初期の虫歯の治療か抜歯です。その後は一般住民の診察ですが、多くは抜歯か、入れ歯の調整です。たまには痛みをこらえて何週間もたち、膿みでパンパンになった患者さんが来ますが、切開して拝膿すると痛みがあっという間になくなり、神様扱いされます。お腹が痛い、鉈で手を切った、ヤギが死にかけている、といった歯科の範疇でない患者さんも来ますが、島の看護士で処置が無理なら鹿屋基地からヘリコプターを呼びます。
島での生活は、本土からの船便が生命線で、台風などで船が欠航すると、とたんに生活品が不足していきます。一度ある島で1週間かんづめになったことがあります。私と看護士さん、村役場のひとが一緒に民宿に泊まるのですが、この時は、3,4日でこれが島でかき集めた最後のビール、5,6日で最後の焼酎といって役場のひとが島中から酒をかき集めてくれました。食料は各家で大型の冷凍庫があるため、これくらいでは無くなりませんが、嗜好品から無くなっていきます。やぎは野生のもいて、一度ヤギ狩りにもつれて行ってもらいましたが、岩山に村民で追いつめて、捕まえます。やぎやぶたは村で屠殺されますが、血が内蔵に入ると食べられないため、首の後ろの動脈をナイフで刺し、血抜きをして殺します。その晩のおかずにとれたての豚汁、トンカツとしてでてきますが、さすがに食欲はわきません。
日本の義務教育のすごいところは、こういった島でも教育の機会均等が徹底しています。当時、小宝島に就学を控える子どもが1名いました。隣島の宝島で下宿する方法もあるのですが、小学1年生から親元を離れるのが、かわいそうだということで、廃校になっていた小学校をきれいにして新たな小学校ができました。先生一人とその子ども2人が鹿児島市からやってきて、都合3名の小学校ができました。そのころは人口20名くらいでしたが、今は2倍くらいになっているようです。島の子どもたちは、人数が少ないため、教師と生徒がほぼマンツーマン教育で、落ちこぼれはいません。そのため、高校は鹿児島市の進学校に行く生徒を多いのですが、競争心がないため、苦労するようです。
今回の皆既日食騒ぎで十島村も全国的に脚光を浴びていますが、騒ぎも過ぎると再び平和な状況に戻ることでしょう。何しろ、交通の便が船便、それも週一回しかないため、1,2週間予定が狂っても大丈夫なひとしか、ここには観光にもいけず、そういった意味でも秘境と言えるでしょう。鹿児島市の人たちもほとんど行ったことのない所です。
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