2017年7月8日土曜日

ブラタモリ弘前 放送

緑町の坂
右の緑町から坂本町へ向かう坂(弘善商会駐車場横)が昨日のブラトモリで紹介されていた
赤丸で囲んだ所が坂記号(点線)が入ったところ
明治四年の分も追加して記載


 今日は久しぶりにはしゃいだ。ブラタモリ弘前、楽しみにしていたが、実際の放送を見て大満足である。あれじゃ一回じゃ少な過ぎる、二回に分けて放送すべきという声も多くなりそうだ。弘前の広告となる番組である。

 当初の予想では、百石町周辺をもう少し撮影するかと思っていたが、少し触れただけだったし、田代町、御徒歩町についてもスチル写真があったので、弘前台地のキワとして地理的な解釈をすると予想していた。完全に裏をつかれ、地理的な対象は近所の坂だけだった。

 この坂は家から十mくらいにある名もない坂だが、ここが取り上げられるとは驚いたし、本当にうれしく思った。他にも点線(坂記号)がついている道が多いのにも関わらず、ここが選ばれたことに嬉しく思う。番組では絵図制作者が坂マニアであったとちゃかしているが、おそらく冬道では、ある程度、こうした坂道には除雪あるいは、整地が必要なのだろう。一晩に数十cmの雪が降るような日、そのままにしておくと坂道で、馬にひかれた橇が止まってしまう。大変なことになるため、近所の人々が主要坂道については整備するように、藩からあるいは、その地区の世話役(名主)が雪の片付け、道の整備などを行うように指示されていたと思われる。こうした道路管理の必要な箇所に坂記号をつけたのでは。

 禅林街の景色は、私も最初見たときはその規模の大きさに驚いたが、折角、土塁まで案内したなら、土塁の上の上がることはできなかっただろうか。ここは一般人が入れないところであり、土塁上からの眺めを見たことはない。とくに土塁上に登る道があるわけでなく、危険なために紹介だけに止めたのだろう。また折角、弘前台地の説明があったので、普門院の山にも登り、その高低差を見てほしかった。

 内容については、放送されるまで何にも知らなかったとはいえ、こちらが色々と調べたことはほとんど番組内容とは関係しておらず、協力者として自分の名が出たのはお恥ずかしい限りである。

 土曜日は午後6時まで診療をしているので、帰宅前に紀伊国屋書店弘前店に立ち寄り、ブラタモリのポスターを撤去した。紀伊国屋書店も皆さんにはご協力いただき感謝する。そのまま家に持って帰ろうとしたが、とくに使い道もなく、土手町でブラタモリのパブリックビューをするということを聞いたので、会場に立ち寄った。ちょうど弘前コンベンション協会の方がいたので、抽選会で当たった人にあげてくださいとポスター置いてきた。当たったひとは枚数が少ないため、貴重なものだが、2週間ほど紀伊国屋書店の屋外に貼っていたので、多少汚れているのは勘弁してほしい。

 ツィッターを見ると、“弘前はヒロマエでなくヒロサキだと始めて知った”という声が載っていた。地元に住むと信じられないが、西日本では意外と弘前=ヒロサキと読めるひとは少なく、そうした意味でこの番組を通じて、弘前のことを少しでも多くのひとに知ってもらえれば、うれしい。



再放送が決まりました。2017年7月26日(水)の午前1時から(火曜日の深夜)です。見逃し、録画忘れの方は忘れずに見て下さい。


4 件のコメント:

標葉石介改め砂 さんのコメント...

録画しました。またゆっくり観ますが、サムライが造った町とは解説偏りかと。サムライの定義が必要だと思ったのは小生の偏りですかね。

津軽に育つ さんのコメント...

院長のお名前、「協力」の真っ先にありましたね。おめでとうございます。確かに、トリビアルな点を論うと少なからぬ問題があり、特に青森リンゴの切っ掛けを一人の武士の手柄だけに帰するに無理がありますね。
でも、翌日に充電バイクの出川哲朗さんの番組も見れたし、外から見た津軽を満喫できました。良い週末でしたね。

広瀬寿秀 さんのコメント...

ツイッター、フェイスブックでも、この番組を見て、弘前に行きたくなったとのかき込みも多く、そうした意味では成功だったと思いますし、視聴率も14,3%とまずまずでした。といっても、この数値は土曜日の番組では二位(朝ドラが一番)で、すごいものと思います。弘前に住む、あるいは興味を持つ人からすれば、内容には多いに不満があると思います。士族と卒族の違いや弘前台地など地形的な話などもう少し説明がいると思いますが、一般の人の感覚からはこれくらいでいいのかもしれません。私事になりますが、私の本でも「明治二年弘前絵図」は売れ、「津軽人物グラフィティー」はさっぱりです。後者の方が専門的であると自負していますが、知人に聞くと、難しすぎて読めないと言われました。自己満足だったのでしょう。反省は必要です。テレビでは本以上に多くの視聴者の見てもらい、理解してもらわなくてはいけず、そうした意味では、今回のブラタモリ弘前もうまくまとまっていたと思います。
サムライが作った町というには偏った考えかもしれません。ただ本多庸一、珍田捨巳、菊池九郎、笹森儀助、菊池楯衛など多くの偉人と呼ばれる人は士族であったことは十分に認識すべきであり、こうした階層の重みが無くなった町の今後の姿は我々でじっくりと考えなけらばいけないテーマです。

広瀬寿秀 さんのコメント...

本音だけで言いますと、青森市、八戸市の皆さんには申し訳ございませんが、青森県の中で弘前市がブラタモリに取り上げられたことが単純にうれしく、さらに近所の坂が取り上げられたことはもっとうれしい(”ブラタモリ坂”と名付けたいくらいです)。先日も秋田市の秋田城に行った折に、そこで長年ボランティア案内をする方と話しました。今度、弘前にブラタモリが来ると話すと、本当に羨ましがり、次は是非、秋田市へと熱望していました。