弘前三中前の不思議な空間は下記の絵図から解釈できる |
冨田の枡形は道沿いの木々も残っているので珍しいと思ったが、全国的にはそう珍しくもない |
このブログを開始したのが2007年2月なので、すでに11年目となる。ブログの場合、発信者の情報が漏れると好きなことが書けないため、匿名のブログが多いが、私の場合は実名でブログを書いているし、また連絡先も載せている。何か問題はないかと聞かれることがあるが、実際、不利益をこうむるようなことはほとんどない。コメントに投稿する人の中にはその匿名性のため、かなり不真面目なものもあるが、それは削除すれば済み、実際にメールで送られてくるものは、真面目なものがほとんどである。
一番、多いのは先祖のことを調べてほしいというもので、個人的に調査した資料を添付してくれることも多い。とくに家系図はこちらとしても貴重な資料である。Aという人物の四代後の子孫となると横の繋がりはなく、Bさん、Cさんから別々にきたメールでBさんとCさんが親戚同士であったことがわかったりする。子孫といっても三代、四代目となるとそのルーツが津軽といっても、かなり希釈されているが、それでも強い想いを持っている人も多い。ただ最近では先祖探しの会社による質問もたまにある。
次の多いのは研究に関するもので、大学の先生、大学院生や郷土史家、あるいは個人で研究されている方からである。古絵図のことから、文学、芸術、観光、津軽に関するあらゆるジャンルの質問が来る。文学系はあまり知らないので、こうした質問が来ると、急いで図書館に行って質問について調べるが、意外に勉強になる。東京には大きな図書館や国会図書館などのあり、何でも調べられそうだが、津軽でないとわからないことも多い。
またテレビや雑誌、新聞の取材もある。前に述べたブラタモリもそうだが、番組の取材をする場合、制作者はまずインターネットで検索する。そこに私のブログがヒットし、連絡先が書いてあるので、取りあえず連絡する。「先生のブログに“開かずの金庫”の話があり、その特集をしたいのですが」といったものもある。ほとんどは取材だけで終わることが多いが、中には番組まで進むものもある。他には、とくにコメントもメールもないが、色んなところで引用され、また間接的であるが、私の意見の一部が頭に残っているのか、ブログで述べたことが実際に採用され、影響を及ぼすことがある。そうした意味では続けていくこともまた大事なことなのだろう。
ブラタモリ弘前、終了後も、その評判を主としてツイッターでチェックしている。まとめると地元民には地理的なシーンが少ない、歴史的にも物足りないと否定的な意見が多かったが、全国的には“初めて弘前はひろまえでなく、ひろさきと読むと知った”とか“今度、遊びに行きたい”、“弘前のことが好きになった”という肯定的な意見が多かった。視聴率も過去5話くらいでは最高の14.3%となり、ディレクターも全国区の倉敷、尾道に勝ったと喜んでいた。ただ残念なことは、地元弘前市では全く盛り上がりに欠けたことだ。地元新聞二紙に取り上げられたものの、結局、市の広報にも取り上げられず、観光には活用されていない。今回の番組でわかったことは、私も含めて地元の人の意見というのは、必ずしも全国的な意見ではなく、独りよがりのものが多い。例えば制作者に冨田の枡形も紹介したが(江戸時代のまま、弘前三中前の不思議な区画、駐車場、道の両脇の木々も残っている)、そんなものは全国にゴマンとあると言われたが、実際にそうである。
地元あるいは私的にはこれは全国的にはすごいと思ったことでは、実は全くたいしたことがないものが多く、逆に当たり前のことが全国的には面白いこともある。津軽に住んで早、22年、私も大分、よそ者見方から、地元民の見方に近くなっており、十分に反省し、常によそ者、外部の見方から津軽のことをこれからもブログで述べていきたい。
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