2025年12月24日水曜日

自費診療について


 

歯科機材最大のメーカ、デンツプライシロナの株価、SureSmileアライナーの失敗も関係する



日本の保険医療制度では医療を保険で取り扱う代わりに様々な制約があり、保険医療機関でありながら自由診療への患者誘導は療養担当規則違反に反し、保険医療機関の指定取り消し、あるいは保険医の登録抹消という処分となる。

 

実際、医科においては自由診療への誘導は、それほど多くなく、主としてこうしたことが起こるのは歯科である。子供のころ、多分昭和40年代始め、ようやく日本でも完全な国民皆保険制度となり、父の歯科医院でも、朝の早い時間から患者が並び、夜は11時まで診療するという忙しい生活となった。パノラマ買ってハワイに行こうというキャッチフレーズで、レントゲン室を作り、全患者にパントモ写真を撮ると2ヶ月で購入費を取り返し、ハワイに遊びに行ける金を稼げた。また前歯の補綴処置は保険適用でなかったので、昭和50年頃から導入されたポーセレン前装冠は、すごい収入となり、知人の歯科医はポーセレンだけ作る技工士を雇ったくらいであった。この頃は、最も歯科医が儲かった時代で、多くの先生が平気で保険医脱退を叫んでいた。その後、根っ子の治療は保険、補綴は自費ということが常態化してしまい、結局、これは混合診療の例外となった。こうして歯科医は儲かる職業となり、私が大学受験していた頃は、歯科医と医師の収入差はそれほど大きくなく、歯学部、歯科大学も人気があった。例えば、当時の岩手医科大学の医学部と歯学部の偏差値がそれほど差はなく、実際、東北大学歯学部でも合格者の1/3は医学部の合格点数に届いていた。その後、歯科医数の増加と歯科疾患の減少により、歯科医師過剰時代となり、歯科医は稼げなくなり、今に至っている。

 

元々、歯科医院は、処置を伴うもののために多くの患者を見ることはできないため、薄利多売を原則とする保険診療には馴染まない。内科では一日、一人で百人見るのはそれほど難しいことではないが、歯科では、虫歯治療にしても麻酔をして、歯を削って、詰めるとなると少なくとも15分はかかり、レントゲン撮影などを入れると予約は1時間で4人、1日で30人が限界であろう。眼科、皮膚科、などのマイナー科目を含めても、これほど診療時間がかかる科は医科にはない。

 

患者が多かった時代は、助手、衛生士に診療の大半をさせて、100-200人の患者をさばく歯科医院もあったが、今や患者がそれほど多くなく、弘前でも患者数は減っている。そうなると少ない患者で、収入を上げるには自費診療を多くする必要がある。弘前の歯科経営コンサルタントは、保険診療だけで年商1億円超えを目指すというが、月1千万、145万円、70-80人の患者が来ないといけない計算になり、この患者を歯科医一人でさばくのは難しいし、そもそも今時こんなに多くの患者が来院するのは田舎でも厳しい。

 

一方、東京では保険診療機関でも自費診療が普通になり、うちの娘が東京の歯科医院に行くと、レジン充填が二次カリエスになっている。虫歯をとり、神経までいっていたなら、そこからは精密診療となり、自費診療になると告げられた。治療途中で保険が効かないならやめますとは言えない。ここでは歯内療法は完全に自費となるシステムである。これは完全に違法であるが、皆がしているので先生はそれほど気にしていない。

 

先日、日本臨床矯正歯科医会の「矯正歯科何でも相談」の回答集が発表されたが、年々相談件数は増加し、さらに今年は半分くらいがインビザラインと小児矯正のトラブルであった。一般歯科での自費診療の一つとしてインビザラインと小児矯正が組み込まれ、それによるトラブルが非常に多くなっている。できもしない自費診療を勧めるはプロとしては、医療人として失格である。昔は、自費診療といえば、前歯部の補綴であったが、さらに金属床義歯、そしてインプラントと対象は変わっていき、最近ではインビザラインと小児矯正が主力となってきている。ばかな経営コンサルタントに騙されてiTeroのような高額な口腔内スキャナーを買わされ、十人もインビザラインの患者がくれば、昔のパントモみたいにハワイに行けますと言われるが、実際、患者は来ない。対象は成人で、今時の若い人は多くの情報を集めて治療を行う。ましてや百万円以上かかるインビザラインを新たに始める先生のところでするわけがない。そしてインビザラインを始めても患者が来ない医院向けの講習会に誘われる。患者ともめて、弁護士の登場となる。歯科医院の自費獲得戦略の中でもインビザラインの導入は最もリスクが高く、お勧めしない。



インビザラインのアライナーテクノロジー社の株価も伸び悩んでいる


2025年12月23日火曜日

閉院しました

 


12/20に診療所を閉院した。1995222日に開業したので、30年と10か月となる。五年前から子供の新規患者を、二年前からは全ての新規患者を断り、ここ1か月は保定の患者だけを主として診てきた。保定一年半以降の患者さんは、検査して問題なければ終了とし、それ以外の患者は弘前市の矯正歯科医に紹介状を書いて診てもらうことにした。新型コロナ問題の時期、どうしたことか成人の新規患者が増え、1年間で130名くらいが治療を始めた。外科的矯正以外の患者は何とかマルチブラケット装置による治療は終了できたが、保定期間が不十分なのでほぼ全て紹介することになり、矯正歯科医の先生にはご迷惑をおかけする。

 

4人の患者さんからお礼のお手紙をもらったり、かなり多くの患者さんからお礼のお品やお言葉をいただき大変嬉しく思った。こうしたことは開業して30年間でも数えるほどしかなく、やめる段階で患者さんから多くのお礼に言葉をいただき、改めて感謝する。矯正治療はかなり長い期間がかかるため、患者とドクターの関係が一般歯科以上に濃いためだと思われる。また治療前後で明らかな変化が見られるために患者にとってもその変化がはっきりわかるためなのだろう。

 

矯正治療は本当に難しく、正直にいうと綺麗に仕上がったのは全症例の2割くらい、まあまあ6割くらい、そしてあまりうまくいかなかった症例も2割くらいあり、自分自身の臨床技術のレベルに低さに後悔している。もっとうまい先生で治療を受ければ、いい仕上げになったのかもしれない。矯正はワイヤーの力で歯を動かすという、素人からすれば、魔法のような方法で歯を動かす。それゆえ、ブラケットの付け方、ワイヤーの選択、曲げ方、ゴムの使い方、など細かなテクニックの集合体で、矯正歯科医によって治療法は違う。ただ弁解ではないが、1割くらいは誰がしてもうまく治らない症例がある。ほとんどは舌習癖などの機能的な問題によるもので、一例を挙げると、前歯を後ろに、奥歯が前に動かして抜歯した隙間を閉じるとしよう。通常は両方が互いに動いて隙間が閉じる。前歯だけ入れたい場合は、ヘッドギアーや矯正用アンカースクリューで奥歯を固定する。ただごく稀に舌を強く前歯に当てる癖のために、奥歯ばかりが前に動き、ひどいケースのなると前歯に動揺が出るため、治療開始前より前に動くことがある。通常の力学的にはありえない動きである。また矯正治療でもっとも難しい症例の一つに前歯が開いている開咬という不正咬合があるが、軽度の後戻りも含めると半分くらいは前歯が噛まなくなる。後戻りである。こうした舌が関与する問題は非常に多く、舌機能訓練などもしているのだが、どうしても咬まないという問題が起こる。難しい。

 

25歳で大学を卒業し、最初3年間小児歯科で研修を受け、小児歯科認定医も取った。ただ60歳になって泣き騒ぐ幼児を宥めて治療する姿は想像できなかったので、当時、出向していた口蓋裂患者のチームの矯正歯科担当医の先生に相談して、転科することにした。同一大学では、基本的には転科できないため、他大学、それも助手(助教)で雇ってくれるところを探していたところ、鹿児島大学歯学部歯科矯正学教室で拾ってもらい、現在に至っている。開業するにあたり、小児矯正歯科での開業も考えたが、当時、弘前には矯正歯科専門医がなかったので、矯正歯科専門で開業することにした。最初は、患者さんが一週間で2、3名しかおらず、当時幼児だった次女をスタッフルームに寝かして家内と二人で、働いた。家賃が10万円と安かったこともあり、一年目から何とかギリギリ黒字で、それ以降は特に経営的に困ることはなかった。矯正治療はかなり高額で、当時、弘前でも百万円と言われていた。青森県の人々の収入が東京の半分なのに、矯正治療費が同じはおかしいと考え、できれば半分くらいにするように考えた。一期基本治療費を20万円、二期基本治療を20万円、それも二年分割で支払うようにし、また兄弟割引をして二人目は10%オフ、三人目は20%オフとし、兄弟で治療を受け、特に処置を必要としない場合は、一人分の調整料(3000円)とした。さらに数年前までは全ての再治療の費用は基本的には取らなかった。料金的に安くして二番目の矯正専門医院開業にプレッシャーをかけるという戦略もあった。さすがに料金を東京の半分までは無理だったが、成人、子供でもトータルで50-60万円くらいに抑えた。

 

そのため、経費をできるだけ切り詰め、ここ25年は、家内が午前中受付、午後はパートの受付1名、そして常勤の歯科衛生士1名という最小限の構成でやってきた。また技工物は平行模型以外、全て自分で作り、診療の合間、あるいは朝に作るようにした。ここ1、2年は可撤式保定装置(ベッグタイプ、ホーレタイプ)の製作が多く、週に6つくらいあり、製作スピードはマックスになった。他には矯正機材はできるだけ大量購入し、交渉して割引率を高め、印刷はプリントパックとエコタンクプリンターで行った。

 

少しだけ自慢すると、私が弘前で開業するまで、口蓋裂、顎変形症の患者さんの多くは盛岡の岩手医科大学、仙台の東北大学歯学部に通院していた。東北大学病院では診療は午前中なので、青森から来る口蓋裂患者、多分百人くらいはいたが、毎月、前泊して来院していた。マルチブラケットの治療になるとほぼ2年間毎月通院するため、毎月、親が青森から2日潰して仙台まで治療を受けに来るのは大変だったと記憶している。こちらで開業すると、青森、弘前、五所川原などの津軽地域だけではなく、大館、能代、阿仁などの北秋田からも患者はやってきた。弘前大学医学部歯科口腔外科でもそれまで顎変形症の手術は年間1、2例しかなかったが、今では青森の板垣矯正歯科と合わせて30例以上になっている。1995年から治療を開始した口蓋裂患者は185名、トリチャーコリン症候群などの先天性疾患は46名、顎変形症患者は414名であった。

 

長いようで短い開業であったが、なんとか終了できてホッとしている。長い間、津軽の人々に助けられ、余所者の私もなんとか生活できた。これからも郷土史を中心に微力ながら地元に還元したいと思う。どうもありがとうございました。


2025年12月17日水曜日

根尖病巣とラバーダム

 




多くの患者さんで、レントゲン上で、歯根の先に黒い暗影と見える歯尖病巣があります。うちにきている患者さんの中でも、昔、歯の根っこの治療を受けた人によくこうした根尖病巣を見かけます。ほとんどの人は無症状なので、そのまま経過を見ていく場合が多いのですが、最近、症状がなければ、そのまま放置しても良いのかという議論があります。

 

根尖病巣部には炎症があり、それに対する炎症性物質が体にいろんな害を及ぼすと言われています。掌蹠膿疱症は手のひらや足の裏に水脹れや膿を持つ病気です。以前は、歯科用金属アレルギーによる代表的な疾患とされ、こうした患者が来れば、口腔内の全ての金属を除去して、アレルギーの少ないセラミックなどに置き換える治療が推奨されていました。ただ掌蹠膿疱症については、口腔内のすべての金属を除去しても治らないケースが多く、皮膚科では他の原因、喫煙や扁桃炎などの病巣感染が疑われるようになり、次第に金属製アレルギー説は下火になっています。最近の報告では、最初に述べた根尖病巣が強く関係しているというようになっています。そのため知人の歯科医にも、皮膚科から根尖病巣の治療を紹介されるケースが増加していると言います。

 

根尖病巣を持つ患者さんには、これまでは積極的に治療を勧めず、痛くなったり、腫れてきた場合は、治療をした方が良いよと説明してきました。ただこうした全身疾患との関係性を危惧するとやはり症状がなくても治した方が良いかと思います。ただ現状では、多くの歯科医では、症状のない根尖病巣を治すのは、かえって痛みが出て患者からクレームが出るため、積極的に治す先生はほとんどいません。

 

これは日本の歯科医療で残念なことの一つですが、いまだにきちんとした根っ子の治療、歯内療法がなされていません。技術進歩によりマイクロスコープ、CT撮影などでより精密な治療ができるようになりましたが、治療法そのものはさほど進歩しておらず、私の個人的な感想からすれば、実際の患者さんの治療結果は昔と変わらないように思えます。1950年まで虫歯が進み、歯の神経まで感染すると中心感染説という考えで歯は抜歯されていました。それに対してグロスマンや日本の森克栄先生は徹底的な無菌治療で治ることを証明し、全力を注ぎました。ところが安い診療報酬によるためか、80年経った今でも、こうした治療は日本では基本的にはほとんど行われていません。

 

無菌治療には必須のラバーダム防湿というごく基本的な操作はしていない歯科医院がほとんどです。小児歯科にいた時は、すべての症例で必ずラバーダムをしました。慣れれば2,3分で乳犬歯、第一乳臼歯、第二乳臼歯、3本の防湿を行えますし、ベテランの衛生士はもっと早くできます。大学での臨床実習、教科書でも、小児歯科の治療、および根っこの治療には必ずラバーダム防湿をするようにしていますが、実際、している先生はほとんどいません。昔、ラバーダムをすれば10点、100円取れる時代があり、ほとんどの先生がこの点数を請求しましたが、厚労省が実態を調べると、点数を取るがラバーダムをしていない先生がほとんどで、呆れ返り、その後はなくなりました。

 

最初の話に戻ると、根尖病巣と全身疾患との関連から、見つければ治した方がいいのですが、それを確実に治せる歯科医がいません。少なくとも私の周辺、弘前市にはそうした先生は少ないと思います。東京ではこうした治療は自費となり、一本、20万円くらいとるそうですが、これは治らないと患者からひどいクレームがつく治療法の一つです。尊敬する東京の森克栄先生は、歯内療法を自費で始めた先駆者の一人ですが、2030年の経過を見てきていますし、転住する場合は紹介するような先生です。自費でするのはそれだけの覚悟が必要なのです。実際は、すべての患者とは言えないにしても、少なくとも補綴を自費でする患者には、根っこの治療も自費ですべきだと思います。さすがに一本の歯の根っこの治療費を20万円に設定できないなら5万円でもいいです。とにかく自費で根っこの治療ができてこそ、優秀な歯科医と言えると思います。新しく開業する若い先生は、インビザラインを学ぶより先に、一般歯科の定番、歯内療法をきちんとする努力をしてほしいと思います。まずは立派なホームページを作るなら「当院では、すべての小児の患者の虫歯の治療と歯の神経の治療にはラバーダム防湿をしています」と書き、スタッフにラバーダムの仕方を教育したらいいでしょう。難しくはなく、覚悟だけの話です。


実は、新型コロナ騒動の前、手袋をしないで治療する歯科医もたくさんいましたし、使う場合もあまり交換しないこともありました(私です)。ところが新型コロナの時期、ほぼすべての歯科医院で手袋を使うようになりましたし、もちろん患者ごとに交換もしています。アメリカで30年前から一般的になっていた標準予防策がようやく日本でも定着しました。日本歯科医師会でも、ラバーダムの重要性(“歯の神経の治療にはラバーダムが必須です。それをしている歯科医院で治療を受けてください”)をテレビキャンペーンで流せば、一億円くらいの広告費で、日本でも欧米並みの歯内療法のレベルになるかもしれません。もちろん点数を2倍くらいにしないとかなり文句が出ると思いますが。


レジン充填にもラバーダム使っています(中国)。自費専門歯科ですが、料金は9千円くらい







2025年12月13日土曜日

日中関係の修復には

中国、広州 山田良政

弘前 山田兄弟碑

台湾、忠烈祠


 高市首相の発言をめぐり、日中関係が悪化している。さらに今日、1213日は南京事件の発生した日で、各種の行事が行われる予定である。日本、中国政府とも、経済的な関係からは早く鞘を納めたいところであるが、なかなか収拾がつかないようである。収拾をつけるひとつの方法を提示したい。内容は六年前にブログに書いたものを少し修正した。

 

 中国の南京市、孫文が祀られている中山陵には、孫文の中国革命を助けた山田良政の碑があるという。山田兄弟の評伝である「芳醇なる日本人」(結束博治)に“山田良政の碑は、南京、中山陵よりやや離れた丘にあり、楓の高い樹が植えられた楓林と呼ばれる公園のような奥の寺院の入り口に、十数基の革命志士の碑と一緒に祀られている”とある。

 

さらに昭和19年に、そこを訪れた歌人土屋文明の歌に

 

日本志士山田良政君を悲しみて孫文自ら立てし碑を見つ

中山先生遺骸安置の白き室とともに輝く日に来りあふ

限りなくつづきて丘を上がり来るは中山陵参拝の青少年等

もみぢしてとぶらふ国民革命烈士の霊それを助けし日本志士の墓

 

 

 

こうした記述から、中山陵からそれほど離れていない国民革命軍陣亡将士公墓のある南京霊谷寺周辺や紅葉で有名な栖霞山を調べているが一向に手がかりがない。多くの山田兄弟の資料がある愛知大学に問い合わせるも不明とのことで、さらには南京日本人会にも照合したが、これもわからないという。また中山大学や中国領事館あるいは群馬にある土屋文明記念文学館にも問い合わせしたが返答はない。その後、弘前大学の中国人学者を通じて中国の研究者にも聞いてもらったが、これといった反応はない。さらに戦前の南京市の地図や旅行記に記載はないかとネットで調べているが、これといった資料はない。

 

 土屋文明は昭和197月に南京を訪れたが、そこで山田良政の幻の碑を見たのだろうか。とても幻の碑から土屋が4つの詩を作ったとは思えず、実際の碑を見て感動したのだろう。中国国民党が山田良政の建碑を議決したのは昭和二年(1927114日である。土屋が中国旅行したのは昭和19年であるから、碑が建てられ、南京市が日本軍に占領されても大切に保存されていたようだ。であれば、戦後、どこかの時点で山田良政の碑が破壊、消滅した。少なくとも蒋介石が率いる国民党が南京市を支配する1949年まで、碑が破壊することはない。文化大革命では中山陵自体は保護され、破壊を免れたが、付近の寺は、宗教はアヘンだというスローガンのもと破壊されていった。南京市でも霊谷寺、栖霞寺などが大きな被害を受けた。その際に国民党関係の墓や記念碑もかなり壊された。おそらくはこの折に山田良政の碑も壊された可能性が高い。“中国の革命・戦争記念碑に関する基礎的調査—広州地域を中心に”(王暁葵)によれば、広州にあった多くの記念碑、墓が文革中に破壊された。文革前に一部は壊されたものもあったが、文革の狂気の時代に壊されたものが圧倒的に多い。その後、壊された碑は、1980年代以降に修復あるいは再建されたが、中国政府の意向に沿わない碑はそのまま再興されなかった。山田良政の碑については、おそらく日中台友好のシンボルとして中国政府で再建は可能と思われるが、写真がなく、場所も特定されていないので、いまだに再建されていないのだろう。何とか、存在の証拠を見つけて、山田兄弟の念願であった、師の孫文と一緒にしてやりたいものである。

 

安倍元首相は、2010年に台湾の忠霊祠を訪れ、そこに祀られている山田良政についての説明を受け、さらに谷中の全生庵にはよく行き、そこにある孫文揮毫による山田良政碑についてはよく知っていた。また山田良政の弟、純三郎は、孫文の妻であり、中華人民共和国、副主席であった宋慶齢とは非常に仲が良く、共産党政府にとっても革命に協力した人物といえる。おそらく中国政府が本気で捜索すれば、南京にある山田良政の碑の所在ははっきりするだろう。もし再建が可能であれば、その碑の除幕式に高市首相が出席することは安倍元首相の遺志を継ぐことであり、同時に台湾政府にも感謝されることである。実際、ここまでしなくても南京に碑跡が見つかり、再建され、それを高市首相が感謝するというニュースだけでも今のような冷え込んだ日中関係は多少修復されるだろう。

 











 

2025年12月11日木曜日

世界はすでに停滞期、発展しない時代に入っているのか






 来年の5月で70歳になる。まだまだ若いと年配の方からは言われるが、子供の頃の記憶では70歳は完全に爺さんである。1960年代の母親の実家の法事に参加した時の記念写真を見ても、4050歳でおじさん、おばさん、60歳以上になると完全におじいさん、おばあさんで、いつ死んでも早く亡くなったとは言われない年齢である。昭和30年頃の青森県総覧という本の最後にはご長寿の方ということで名前が載っているが、それが80歳以上で載る。今は本にご長寿で載るとなると100歳以上となる。村田英雄は王将を歌っていたのが33歳で、亡くなったのが73歳、フランク永井がおまえに歌っていたのが45歳、最後のレコードを出したのが53歳、三橋美智也が怪傑ハリマオを歌っていたのが30歳、亡くなったのは65歳で、とても考えられないほど年寄り、おじさんであった。

 

山下達郎が72歳、竹内まりあが70歳、ユーミンは70歳、吉田拓郎に至っては何と79歳である。みんな若い。もし1960年の人にこれらの歌手の写真を見せれば、40-50歳くらいというだろう。昔に比べて今の人は20歳若いように思える。特に僕たちの世代は、子供の頃の大人と、うちの父親もそうだが大正、明治の人で、ほとんどの男の人は戦争を経験し、もちろん戦前の教育を受けている。全く別人種と言っても良いほど考えは違う。

 

パンよりは米、肉よりは魚、ウイスキーよリは日本酒、歌は民謡、演歌、軍歌、浪曲、そして洋装よりは和装を好んだ。うちの姉の世代(戦後生まれ)からこうした好みも逆転し、昭和40年くらいから道行く人も和装より洋装が多くなり、学校給食以外でも家でも食パンを食べるようになった。もちろん当時でもあんぱんやジャムパンはあったが、あくまでオヤツであった。音楽もビートルズが出現した1960年以降、完全に変わり、その後のグループサウンズ、フォークソングブームとなり、ここで若者と父親世代には完全な溝ができた。さらに決定的となったのは1960年後半からのミニスカートブーム、長髪ブームで、これで完全に世代間の断裂となった。うちの父親は大正8年生まれ、軍隊に6年いて、歯科医をしていた。そこそこ進歩的であったが、それでもパンの朝食は無理だったし、洋酒よりは日本酒を好み、洋服よりは着物を好んだ。

 

逆にいうと1970年以降の世相を見てみると、それほど世代間の大きな壁はなく、音楽で言ってもユーミンの1970年代の曲を今の若い人は聴いているし、ミニスカートも人気がある。おそらく1970年の格好で道を歩いてもそれほど違和感はないと思う。この50年をみると、インターネットの普及など、デジタル社会となったが、それでも僕たちが1970年代に大人に感じていたほどのギャップを今の若い人は年配の人に感じていないのではなかろうか。子供の頃に母親や父親の若いときの写真をみても、白黒写真で、皆着物を着ており、古いというイメージしかないが、うちの子供に私たちの若いときの写真を見せても、若いというイメージしかなく、それほど古いとは思っていない。

 

日本の江戸時代は、1600年頃から明治が始まる1868年までの250年くらいの時代であるが、大雑把にいえば、生活、食べもの、服装、習慣など、それほど極端に変化しておらず、1868年から現代までの160年の方が大きな変化があった。まず産業で言えば、製鉄、機械産業が指数関数的に発達し、そして船、飛行機、車などは戦争を契機に一気に進歩し、1970年代以降はパソコン、そして最近ではIT 産業が興隆している。ただ船、車で言えば、1880年にベンツがガソリン車を発明し、50-60年後には今と同じシステムとなり、船で言えば、タイタニック号と今の豪華客船には大きな違いはないし、飛行機にしても1950年代のボーイング707から大きな進歩はない。同様にパソコンにしろ、デジカメにしろ、スマホにしろ、最初は大きく発展するものの、しばらくすると大きな発展はなくなってくる。その間隔はますます早くなってきており、おそらく今のAI産業もあと10年くらいでプラトーになるだろう。

 

こうした変化の経過を見ていくと、未来を予想できる。まず人々の服装、食べ物、生活は100年後もそれほど違わない。歌舞伎、オペラ、バレーなどの観劇は今のままだし、ひょっとすると本や映画もそのまま残るかもしれない。スタートレックのような一律のユニフォームではなく、1970年代の服を着ている人もいよう。車、飛行機、船は自動化されても残るし、完全な自動翻訳機ができても日本語は残るし、英語も勉強するだろう。

 

僕らが昔思っていたほど、未来はそれほど未来でない可能性が高く、今のままの生活がそのまま続くように思える。最初に述べたように、1970年代というとすでに50年以上前である。当時のコカコーラやJR東海のコマーシャルを今見ても、それほど違和感はなく、逆に言えば、今の社会を50年後に見ても違和感はないし、そうならそれより50年前、つまり百年前の社会にも違和感はないのではなかろうか。エジプト文明、メソポタミヤ文明は3000年以上続き、ローマ帝国も一千年続いたが、それほど大きな変化はなく、世界もそろそろ文明が発展しない、停滞する時代に入ったのかしれない。SFが描くような宇宙に進出し、火星や月に住む、あるいはスタートレックのようにワープ航行により別の惑星に行くようなことは多分百年後でもないだろう。ジュール・ヴエルヌが「月世界旅行」を発表したのが1865年で160年前、アポロ11号の月面着陸は1965年で60年前だが、いまだに観光客が月に旅行できていない。多分百年経っても無理かもしれない。

 










2025年12月4日木曜日

西村しのぶさんのこと

 



先日、リタイア後の生活として、漫画、アニメをもっと見たいというと、友人から「先生が漫画好きとは意外だ。そんなものには興味がないと思っていた」と言われた。私は大の漫画好きで、小学校1、2年生くらいから少年マガジン、サンデー、キングなどを読むようになり、高校卒業まではずっと週刊マガジンを購買していた。その後は、週刊誌は読まなくなったが、単行本はずっと読み、ここ30年くらいは年間で100冊は読んでいる。主としていわゆる青年誌というカテゴリーのもので、今、読んでいるのは「大乱 関ヶ原」、「Blue Giant」、「昭和天皇物語」、「絵師ムネチカ」、「平和の国の島崎へ」、「正直不動産」、「Dr.Egg’s」、「史記」などである。どうも女性漫画については、読み慣れていないせいか、ほとんど読んだことはなく、思いつくだけでも女性作家の漫画は「のだめのカンタービレ」、「ガラスの仮面」、「坂道のアポロン」、「テルマエ・ロマエ」、「ピアノの森」くらいしか思いつかない。

 

個人的には、女性漫画家の中で、もっとも気になるのは、神戸のことをオシャレに描いている西村しのぶさんである。なぜかというと、西村さんの作品には広瀬という名のキャラクターが複数存在する。まず処女作の「サードガール」では、広瀬和正という歯科医が登場する。さらに「メディックス」では広瀬浩一という医師が登場し、「RUSH」では住吉という矯正歯科医が登場する。また「サードガール」では、主人公の神崎川夜梨子は神戸市出身、聖K女学院中等部、高等部、短大とされているは、おそらく甲南女子中学、高校、大学短期大学部のことと思われる。ちなみに神崎川という名は、奇妙な名であるが、阪神尼崎に住む人から見ると、尼崎市と大阪市の境、淀川の支流、神崎川を思い出す。昔は汚い川で、主人公の名としては奇妙である。また夜梨子の彼氏、大沢悠也は神戸、六甲学院から京都大学という設定となっており、広瀬、六甲学院、歯科医、矯正歯科医という点でも、不思議に自分と一致する。実際、RUSHが出た当時、1993年頃は、まだ神戸市でも六甲学院の先輩の小島矯正歯科など、数軒しか矯正歯科医院はなく、この時代に矯正歯科医を作品に取り上げるのは珍しい。

 

昔、甲南女子中学校の子を好きになった。彼女は阪急塚口駅近くに住まいがあり、おそらく1960年か1961年の生まれ、神戸大学附属住吉小学校と甲南女子中学に通学していた。小学校から越境入学させるのは、医者かよほど教育熱心な家庭の出であろう。背の高い、綺麗な子だった。当初、西村しのぶさんかなあと思ったが、Wikipediaによれば西村しのぶさんは、19635月生まれ、宝塚市の出身、神戸市外国語大学在学中に小池一夫主宰の劇画塾に入りデビューしたとあり、年齢、住まいも違うので、全くの別人である。

 

ただ興味があるので西村しのぶさんの作品を、きちんと読もうかと、これまで何度か挑戦した。「サードガール」も一巻目を買って読んだが、二巻目には進めず、また「RUSH」も一巻目でギブアップ、「下山手ドレス」は二巻と三巻をかろうじて読んだが、どうも作品に入り込めない。時代、舞台とも私はよく知っている神戸なので、よくわかるはずであるが、どうも女性読者にはハマるが、男性読者には内容について行くのが難しい作品なのかもしれない。

 

本当に寡作な作者で、ごく稀に作品を発表するようで、最近では2021年に「砂とアイリス5」を発行したのが最後である。プロの漫画家、それも多くの人に支持されている作家は、天賦の才能を持つ人である。私の尊敬する女優、カトリーヌ・ドヌーブは、初期の「シェルブールの雨傘」以降も次々と作品を発表し、老年に至った今でも渋い演技を見せている。漫画家も若い時とは違った、私たちのような古いファンを対象にした作品を発表してほしい。島田順子さん、大橋歩さんなどのように80歳を過ぎてもデザイナーとして活躍している人もいる。西村しのぶさんはまだ62歳で、まだまだ若く、60歳代のおしゃれ、生き方、恋愛を、漫画を介して発表してほしい。才能のある人は、その才能を世間に出す義務があるように思える。コアのファン、多分40-60代からすれば、本当に新たなシリーズが発表されるのをずっと待ち望んでおり、そうした声にも応えなくてはいけない。


2025年12月3日水曜日

矯正歯科医に紹介をしない歯科医院



歯科医院で矯正治療をしているところは多い。歯科診療所、68000件のうち、矯正歯科を標榜している歯科医院は27000件、39.7%の比率となる。このうち、矯正歯科専門の歯科医院は2000件くらいであろう。

 

一般の患者さんからすれば、矯正歯科を標榜しているのであれば、何らかの専門機関で教育を受けたと思うが、多くの先生は数回の講習会を受けただけで、専門知識もないし、技量もない。患者さんが歯並びについて先生に尋ねると、普通は矯正歯科専門医を紹介する。なぜなら自分は専門教育を受けたこともないし、できないからである。当たり前である。私の父親は50年間、真面目に歯科医をしてきたが、不正咬合の患者は全て矯正歯科の先生に紹介してきたし、私の兄も歯科医だが同じようにしている。

 

なぜできもしないことを標榜し、患者に勧めるのか、全くわからない。以前、もう十年以上前だが、地元の矯正歯科のスタディーグループに入っていたことがあった。月に一度、症例を持ち寄り、皆で検討するような会であった。私以外は全て一般歯科医だったので、結局は私の意見が治療方針になった。そこで報告される多くの症例で「先生の力では、この症例は治療できないのでやめなさい」と厳しく言うことが多かった。もちろん簡単な症例で、一般歯科の先生が手を出してもいいのもあるが、成人症例の多くは、マルチブラケット装置の知識と経験が必要であり、これをマスターしている一般歯科医はほとんどいない。例外は矯正歯科の医局に3年以上勤務して、専門医にならないで一般歯科で開業した先生だけである。

 

それでも先生方は治療する。その挙句、うまく治療できないと、「これが限界だ。私は専門医でないのでこれ以上治せない」と言う。これで費用がものすごく安かったらまだしも、ひどいところになると専門医の私のところより矯正料金が高い。それではこうした先生は、金儲けのために矯正治療しているのかというと、そうではない。単純に患者は自分のところでの治療を希望してきたのだからだと言う。なぜわざわざ自分のところでの治療を希望している患者を矯正歯科医に紹介するのか、あるいは矯正治療くらい誰でもできると考えている。もちろん、私の父や兄のように矯正治療に関心がない歯科医は、患者から歯並びの相談を受ければ矯正歯科医に紹介する。ところが少し矯正治療をかじった先生は、自分で治そうとする。ではなぜこうした考えになるのか、それは一般歯科医の多くは矯正治療のゴールを知らないからである。

 

マルチブラケット装置を扱う際には、矯正歯科治療のゴールというのを研修機関でさんざん叩き込まれる。具体的にいえば、大臼歯関係はI級、適切なオーバーバイト、オーバージェット、緊密な咬合、そして一番大事なのは美しいフェイスライン、こうしたゴールについて厳密な点数付けが可能であり、100点満点の何点と採点することができる。実際、専門医の症例審査では、こうしたクライテリアに従って点数を出して、その結果によって合否を判定する。一方、一般開業医には、こうした採点ができるか疑問である。例えば、歯のデコボコのケースでは、とりあえず並べればOKとする先生もいる。矯正歯科医では、もちろんデコボコは取るし、前歯、奥歯をしっかり噛ませて、綺麗なフェイスラインを作ろうとする。今時は矯正装置も発展しているので、形状記憶のワイヤーを入れれば、デコボコは容易に改善する。難しいのはきちんとしたゴールの達成で、これをマスターするのが大学の矯正歯科講座での最低でも3年の教育が必要である。その点、小児の矯正治療を主訴は大まかに治れば、子供も親も満足するのでまだしも、成人はこうはならない。そうしたこともあり、矯正歯科と標榜していても子供の矯正治療だけで大人の矯正治療は紹介するという先生は多い。問題はインビザラインによる矯正治療を勧める歯科医院である。インビザラインの患者の多くは成人症例で(子供はGO)、こうした患者は仕上げに厳しい。患者を満足させるにはマルチブラケット装置でも難しく、ましてやインビザラインで治療ゴールを達成するのはさらに難しく、クレームになるリスクが高い。矯正歯科医の場合は、最悪、インビザラインからワイヤー矯正、外科的矯正に変更することで治療は可能であるが、一般歯科医ではそうしたことができない。

 

料金も同じなので、なせ専門医のところで治療しないで一般歯科医で治療するのか、これは明らかに患者に責任がある。今時こうしたことはネット上では常識で、高い費用を出して、長い期間を費やすなら、どこで治療を受けるか。特に成人患者では、専門医で、少なくとも日本矯正歯科学会の認定医のところで治療を受けるしか選択肢はない。You Tubeで矯正歯科のチャンネルを見ていると、専門家から見ると素人レベルの先生が、さも知った顔をして語っている。私が尊敬し、臨床能力の優れている先生は、一切、YouTube、インスタには出ていないし、そもそも認定医の更新でネット広告がチェックされ、YouTubeの動画はダメであろう。皮肉な言い方をすれば、YouTubeで出てくる先生で派手に宣伝している歯科医院は、少なくとも医療広告法あるいは学会の倫理規定に反しており、そうした法律を破るようなところで治療を受けるのはいかがなものかと考えるし、多くは認定医の資格すらない、きつい言い方だが素人と言っても良い。素人のところで高い治療費を払い治療するのは患者にも責任がある。


 

2025年12月1日月曜日

鈴木雅の父親 わからない

 



Wikipediaによれば鈴木雅の父親は、静岡県士族加藤信盛、鳥羽伏見の戦いに参戦し、その後も日本各地を転戦し、最後に五稜郭に立てこもり生き残ったとある。つまり、幕末戦争、箱館戦争に参加した加藤という士族を探せばいいわけで、調べるのは簡単だと思っていた。ところがどこを探しても加藤信盛という名は出てこない。武士は通常、多くの名前を持っており、号、諱、字、通名などあるため、信盛の他の名前で出ている可能性が高い。さらに難しいのは、明治維新後に通名も変える人が多く、過去の調査でも、別人と考えていた人物は実は同じ人物で、明治以降に名前を変えたという例があった。そこで該当する人物を国会図書館デジタルアーカイブで検索していくことにする。

 

まず、幕府崩壊に伴い静岡藩に移った幕臣、2500名について記された「駿府表召連候家来姓名」というものがある。これには27名の加藤姓が記載されているが、そこには加藤信盛の名前はない。ただこれは慶応4年に静岡に移住した人で、明治2、3年に移住した者の名前はない。箱館戦争に参戦した幕臣の名前はおそらくないであろう。

 

次に箱誰戦争に参戦し、脱走した幕臣の氏名を記載した「箱館戦役徳川脱走軍人名簿」が北大の北方資料関係の資料に中にあり、WEB上で公開されている。それを見ると、加藤新次郎、加藤春之助、加藤精一郎(折戸死?)、加藤光蔵、加藤作太郎(宮古死)、加藤一、加藤金二郎(江良町官手_?)、加藤喜十郎(松前?傷)、加藤覚之氶(箱館丸)、加藤長太郎、加藤國三、加藤昇太郎、加藤幸造、の13名の名前がある。これらは「駿府表召連候家来姓名」の27名の加藤姓とは一致せず、やはり箱誰戦争の参加者は「駿府表召連候家来姓名」には記載されていないようである。そのため戦死者を除いた11名が加藤信盛の可能性がある。

 

信盛は日本各地を転戦したとあるが、鳥羽伏見の戦いと箱館戦争に参戦し、彰義隊に参戦しないわけはないと考え、彰義隊のメンバーの中から加藤姓を探った。彰義隊のメンバーの中で、加藤姓を持つものは、加藤順四郎、加藤光逸、加藤新太郎、加藤重吉、加藤金次郎(戦死)、加藤今吉、加藤作太郎(宮古にて戦死)、加藤勇太郎、加藤大五郎、加藤光造、加藤真太郎、加藤誠一郎(戦死)、加藤正太郎、加藤栄之進、加藤帰之郎、加藤昌三郎、加藤八郎がいる。彰義隊、箱館戦争の両方に名前があるのは、加藤光蔵と加藤帰之郎である。加藤光造は埼玉県幸手市のホームページ(市指定文化財「伝彰義隊士横山光造所用陣笠」の説明文で、安戸村二本木生まれの剣士、横山光造が彰義隊では加藤と名乗り、その後、箱館戦争にも参戦し、戸島に戻り、そこで剣道を教えながら、明治32年に81歳の生涯を閉じるとしている。名前も元の横山光造(蔵)に戻すので、鈴木まさの父親、静岡藩士、加藤信盛ではない。加藤帰之郎は彰義隊、箱館戦争にも参加する800石の旗本で、本家は3600石の高官、加藤光泰、光直であるが、年齢的には合わない。

 

結局、加藤雅の父親、加藤信盛については、同定できなかった。ただ東京大学の鈴木博之先生が「下級武士の暮らし 彰義隊組頭加藤大五郎の背景」という論文で、彰義隊の第二白隊の隊長、加藤大五郎について取り上げている。加藤大五郎の兄は鈴木源五郎重固という旗本で、そして次男で家を継げなかった大五郎は加藤清正に憧れて加藤姓の家に養子にいき、彰義隊に参戦し、明治維新後は横浜に逃れ、商売をしたという。兄の源五郎は測量の技術を持っていたので、新政府に出仕し、キリスト教に入信し、明治20年に亡くなった。箱館戦争に参戦したかは不明であるが、履歴は加藤雅の父親に似ているが、大五郎=信盛かは全くわからない。ただ加藤雅の嫁ぎ先は鈴木良光、父、信盛の生家、鈴木と同姓であるのも不思議である。


鈴木源五郎重固の名は、静岡学問所、沼津兵学校関係者によるキリスト者、静岡バンドの中にその名前が見える(宇野美恵子、西周の教育思想における東西思想の出会い 沼津兵学校時代を中心に、北東アジア研究、14/15,2008).中村正直は横浜共立女学校の創立に関係した人物で、強引に辻褄を合わせると、中村正直と鈴木源五郎は友人で、弟の娘、マサの進路を相談したところ、共立女学校を紹介されたと。何しろ中村正直は明治四年亜米利加婦人教授所告示という生徒募集広告を書いた人物である。妻、娘3名をここに行かせた。