2008年11月3日月曜日

奈良美智




 「ふるさとは遠きにありて思うもの」。離れて初めてふるさとのありがたみがわかる。雑誌ブルータスの最新号で、愛する地方都市という特集の冒頭で弘前が取り上げられ、現代アートの奈良美智さんのインタビューが載っていた。

 「以前は、郷土愛やお国自慢が嫌いだった。だけど、それはきっと自分と故郷が近すぎたというか、客観的に見ることができなかったからだと思うんだよね。今は郷土愛やお国自慢をする気持ちも理解できるようになった」、「太宰の津軽って小説に弘前のことが津軽人の魂の拠りどころであるなって書かれているのを読むと、結構じいんときたりするようになりました」、「正岡子規を育てた陸羯南や、明治期の探検家の笹森儀助とか、そういう人たちが隣町にいたっていう歴史を聞くのが、最近すごく面白くてね。弘前に住んでいた子供の頃は全然興味を持てなかったのに」

 私の場合は、よそから来て、逆に改めてこの地の偉大さがわかり、地元民の無関心さにやきもきしているところだが、案外多くの津軽の人たちは奈良さんと同じような感覚なのかもしれない。外から眺めてみて初めてわかることは多く、幕末の先人たちも日本各地を訪ね歩き、藩という枠組み外から見ることで初めて日本という国家、明治維新の必然性を学習したのであろう。これだけ人の移動が容易になった今の時代でも、弘前では100年以上同じところに住んでいる家も結構ある。昨今の不況により、地元への就職先がないため、しかたなく都市部へ就職するが、やっぱり地元が一番、東京は怖いと感想をもらす若者も多い。こういった若者たちは、いったん外から弘前を眺める貴重な経験を積んでおり、新たな町おこしの旗手になっていくに違いない。

 今日の東奥日報でもドイツで活躍する弘前出身のコンテンポラリージュエリーアーティストの鎌田治朗さんのことが紹介されていたが、奈良さんの影響か、今弘前でもアートに対する関心が高い。あちこちで小さな作品展が行われ、新しい作家も登場している。作家、音楽家、画家といったアーティストの系譜は連綿と続いており、津軽の風土はこういった芸術家を育てるにはいい所かもしれない。ただこれもしょうがないことかもしれないが、地元では評価されず、また活躍の場もない。いやむしろ、地元に執着する必要もなく、どんどん東京や海外に機会を求めて進出してほしい。

 奈良さんのようなアーティストや作家などは近年でも地元からたまに現れているが、一方珍田捨巳、笹森儀助、山田兄弟のような人物は戦後出現していない。現在では、いわゆる偉人と呼ばれるジャンルの人物自体が消滅しており、かすかに残るとすれば、アフガニスタン復興に命をかけるペジャワール会の中村哲さんや元国連難民高等弁務官緒方貞子さんのような人道支援の人物が該当するかもしれない。このようなジャンルの人物を地元から輩出するには、風土としては適しているが、武士道、キリスト教に代表される精神的なバックボーン、教育が欠如している。かっての藩校稽古館や東奥義塾のような教育機関あるいは菊池九郎や陸羯南のような教育者が必要なのかもしれない。

 ロータリ財団奨学生という制度がある、これは国際ロータリー財団が奨学金を出し、地域の優秀な若者が海外に留学し、研究することを支援するシステムで、弘前からも実に優秀な人物が出ている。先にでた緒方貞子さんもこの奨学生である。この制度のいいところはお金だけでなく、海外の有名大学も財団奨学生なら受け入れるという了解があること、留学先のロータリークラブが奨学生を世話をする点である。昔に比べて、今はお金の問題よりは希望の研究、仕事をする機会が与えられない点が大きく、夢を実現するためには何らかの架け橋をする人物、機関が必要である。県外あるいは海外にいる弘前出身者も多くの縁故を持っているはずでそれを使い、とくに海外への留学、仕事を希望する地元の若者が夢を実現するような何らかの機関、システムがあればと思う。奈良さんもドイツに留学する際には結構苦労したのではないかと推察する。

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