2008年11月13日木曜日

ミノルタCLE




 このカメラは非常に思い出深いものです。買ったのは、確か1981年ころだったと思いますが、当時で40mmレンズ付きで12,3万円と、私にとっては信じられない価格で、毎月1万円ずつ、返すのにほぼ1年かかり、その間非常に苦しい生活をした気がします。当時からライツミノルタCLの後継機として評価が高く、最新のレンジファインダーカメラ、最も安い?ライカレンズが使えるカメラ、あるいはライカを超えたカメラとされており、かっこよさも手伝い、仙台のカメラ屋で買いました。総販売数は3万2000台で、約10年間販売されていましたが、当時のミノルタの主力商品X-700より高価なため、一部マニアに売れたようですが、それほど人気が高くはなかったと思います。むしろ販売中止後に人気が出てきて、2001年のアサヒカメラでも最も復刻希望カメラとして挙げられ、中古価格も長らく高いものでした。最近はさすがに下がっていますが、それでも5万円くらいはしており、25年以上経過しているカメラとしては高い方ですし、専用の28mmのMロッコールレンズはいまだに名機とされています。

 CLEの前のライカミノルタCLについては、先に挙げたアサヒカメラ6月号で、当時の開発部長らとの会話が残っています。ライカはM5のサブポジション的なものとしてライカCLの生産をアジアの持っていき、安く作りたいと考えていたようです。その提携先としてミノルタが選ばれましたが、当時の経営者からはライカは神様のような存在で大きな衝撃を受け、ずいぶん意気込んだようです。その後、さらにAE露出を内蔵したCLEの開発につながったようですが、ライカは全く関知しておらず、全くのミノルタのオリジナルのものだったようです。ただ、Mマウントについては、ライツからマウントの図面や距離計の数字ももらっているという意味では正統なライカの血筋を引いているともいえそうです。

 子供の写真はほとんどこのカメラで写しており、その意味でもこのカメラは我が家にとっては大事なものですが、やはり日常のカメラとしてはデジカメには太刀打ちできず、ここ数年は全く使用していません。上の子供が大学のカメラ部に入るということで一時あげましたが、1年ほどすると使わないといって返してきました。私自身も老眼が進み、連動距離計によるピント合わせはとてもきついものです。今や銀塩カメラはもはや製造されなくなりましたが、デジタルカメラはあまり新機種の多さからもう二度と名機と呼ばれるものはでないでしょう。

 話は変わりますが、最近カメラレンズの製造をしている会社の経営者のひとと話す機会がありました。カメラレンズは自社の直轄工場でも作られますが、弘前にあるような小さな工場にも発注がきます。というのはレンズの切り出し、研磨、コーティングなどは熟練の技を要するため、安いレンズは中国などでも作れても、熟練が要する中高級レンズはこのような小さな会社の作られるようです。ニコンから時折こういった会社に、もはや製造していない古い、古いレンズの注文がくるようです。修理用のもので、何とニコンは在庫がないからといって修理を断ることはせず、レンズ自体を注文するようです。それも取り付けに失敗することも考慮して2枚のレンズを注文するようです。工場からすれば手間のかかる注文ですが、ニコンは子会社のレンズの発注にも誠実な対応をしてくれている(あまり生産調整をしないらしい)ことからむしろ喜んでやっているようです。ユーザからすれば、レンズの修理費に15000円とか20000円かかり高いと思うかもしれませんが、在庫のあるレンズで修理するのではなく、わざわざレンズメーカに特注するわけで、全くのオーダーメイドのものです。ニコンにしても決してもうかっていないか、むしろかぶっている可能性も高いと思います。ニコンというブランドを守るためには、こういった隠れた面での努力も必要と思いますし、またニコンの社風なのでしょう。

 デジカメ本体は海外で今後も作れていくと思いますが、レンズ、特に高級品はこういった中小の熟練工に支えられており、離職者が多く、熟練工の育たない中国での生産は今後ともそれほど増えないでしょう。ただ肝心の日本でもこういった修練に手間のかかる仕事は若者たちには嫌われていますが。

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