2025年5月9日金曜日

宮本輝著 「潮音」

 



宮本輝の新刊、「潮音」、全4巻読み終えた。今回は、3ヶ月くらいで一気に4巻発行のため、読むのが忙しかった。5月半ばに引っ越す予定なので、休診日の水曜、木曜、日曜とも荷造りばかりしていたので、本を読む時間が取れない。ただ流転の海の場合は、次の作品まで間が空いているので、前巻までの筋を忘れてしまうが、この「潮音」は間をおかずに発刊されたので、そういうことはない。

 

4巻読んだ感想としては、富山の薬売りという特殊な仕事なのか、幕末から明治の細かい出来事が、かなり詳しく語られる内容となった。明治については、司馬遼太郎の一つの解釈があり、そこには坂本龍馬、西郷隆盛、高杉晋作、大村益次郎、河井継之助などのビッグネームが存在し、彼らを通じて日本の近代化が語られるが、「潮音」では、登場人物はほぼ架空の人物で、司馬遼太郎とは逆の立場からの見方となる。庶民の立場からの明治維新なのである。ただ富山の薬売りが、職業がら最新の情報を常に入手していたとはいえ、ここまで情報収集能力があったか不思議な感じがしたし、逆にいえば急激な社会変化が起こった幕末から明治初期の時代では、これくらいの能力がなければ生き残れなかったのかもしれない。過酷な時代だった。

 

江戸時代というのは、ある意味、既得権益の時代であった。武士は武士という階級の中での特権があるだけでなく、視覚障害者は座頭という仕組みがあり、あんま、はりだけでなく、金融業が認められていた。またエタ非人といった階層も、犯罪人の捜査、刑務所の看守、皮加工、など特殊な仕事を請け負い、他の人の介入はできなかった。基本的には江戸時代の職業は、士農工商という大きな枠組み以外にも、町仲間のように同じ職業のものが集まった団体があり、幕府の許可を得て独占的に営業する権利を持ち、新規のものの参入を防いだ。本書に登場する富山の薬売りもそうした枠組みを持つだけでなく、富山藩そのものが、耕作地が少なく、薬売りが藩そのものの産業で、多くの住民がそれに関連していたという特殊な事情もあった。

 

こうした江戸の制度が全てバッサリと崩壊したのが明治である。士農工商という身分制度がなくなったのは、全ての人にチャンスができたというばかりではなく、これまでの既存の仕組みが崩壊し、新たな仕組みを作らないといけないという厄介な問題が生じた。本書では、こうした時代の大きな変換に勇気を持って立ち向かった人々が描かれている。そしてこの努力は連綿と今日までも続いており、現在でも多くの製薬会社が富山県に集まっている。

 

歴史小説の難しいのは、状況の説明をどこまでするのか、読者の歴史認識をどこに置くのかであろう。私の今一番好きな高田郁の「あきない世傳 金と銀」のようなシリーズもの(ドラマが最高に面白い)では、江戸時代の呉服店の大まかな説明があれば、その後はストーリを淡々と進めていけるが、主題が江戸時代の枠組みの崩壊となれば、さらに大きな規模での説明が求められ、これだけの分量となったのだろう。それでも読者に飽きさせずに読み進められるのは筆者の力量であろう。

 

個人的には、主人公、弥一の部下、才児という人物が面白かった。子供の頃から変わった人物で、今で言うならサヴァン症候群と診断されるかもしれないが、そのやや自閉症的な行動を周りの人々が丁寧に修正していき、そして記憶力の良さなど長所を伸ばしていき、しまいには弥一の片腕となって活躍していく。清々しい。おそらく上海で中国語と英語をマスターし、ひとまわり大きな商人となって活躍していくのだろう。昔、母から聞いたが、徳島県の脇町という母の生まれ育ったところでは、ダウン症の子供がいると、みんなして簡単な仕事をさせて多少のお小遣いをあげていたという。ダウン症の子供は性格が優しく、きちんと仕事をするので、町の者は簡単な仕事を残しておいて、ダウン症の子供にさせるという風習があった。小さなコミュニティーでは、障害を持っていても皆で一緒に育てるというルールのようなものがあり、障害があるならあったでできることをさせたのであろう。

 

宮本輝さんも今年で78歳というが、この年齢でこれだけの分量の本を短期間で書くというのはたいしたものである。とりわけ初挑戦の時代物となると、多くの資料を集め、読みこなさなくてはいけないので、通常の小説の何倍も苦労したと思う。今回も広瀬屋という同姓の登場人物を出してもらいありがとうございます。


 


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