昨年、閉館した鍛冶町、ピンク映画館「テアトル弘前」で有志が定期的に映画を上映するという。昔からこの映画館はピンクに塗られた外観が気になった建物で、何度も写真を撮った場所である。ピンク映画自体は問題ないのだが、ここはゲイの方が友達を探すところという噂を聞いたので、躊躇されて行ったことはない。今は、昔の切符売り場が小さな喫茶店になり、その奥が50名くらい入るホール、プロジェクターで映画を上映する構成となっていた。7席8列くらいで50人くらいが収容される。
本日、早速行ってみた。館内に入ると、折りたたみ椅子が置かれ、小さなライブ会場のような雰囲気で、元映画館という痕跡はあまりない。上映映画は、あの懐かしの「青い山脈」、原節子版ではなく、吉永小百合版であった。観客は8名くらいで若い人が2名で、私と同じくらいの年配の方が6名くらいであった。昭和38年製作の古い作品で、若者には興味がないのか。原作者の石坂洋次郎は弘前市出身の作家で、本作の舞台も弘前市、あるいは秋田県横手市と言われるが、この映画のロケ地は彦根市で、彦根の人々は古い街並みが見られて嬉しい作品であろう。私にすれば、少し陳腐な作品で、石坂洋次郎のようにその当時の時世をよりリアルに描いた作家の作品は今、見るとかなり古臭さがより目立つ。いわゆるより最新になればなるほど、すぐに陳腐化してしまう。その点、小津安二郎も現代物を撮影しているが、今、彼の作品を見てもそれほど古臭さい感覚はない。監督の差というよりは原作の差のように思われる。ユーモア映画であるが、全く笑えない作品で、同時期のクレージーキャッツの無責任シリーズ、日本一シリーズの方がよほど笑える。青い山脈の原作は昭和22年、映画は昭和24年、昭和32年、昭和38年、昭和50年、昭和63年の5回撮影されているが、原作に一番近いのは昭和24年、原節子主演のもので、おそらく昭和38年版もすでに時代遅れの感があったろう。
こうした名作映画を上映するミニシアターは、個人的にはすごく好きである。中学高校生の頃は、神戸、三宮のビッグ映劇によく行った。大学生になると、仙台の一番町にあった「名画座」、ここは本当によく行った。高校生の家庭教師の教えに従って、年間100本を目標に休みの度にこの映画館に行った。結婚すると映画館に行くことはほとんどなくなったので、鹿児島、その後の弘前でもあまり映画館には行ってない。弘前では住んでいたところから100mくらいのところ、南横町に名画座があったが、入りにくいので行かないまま、閉館となった。
弘前市で住んでみて、いつも感心するのは、今回のように、新たな企てを試みようとする人が多いことだ。友人に弘前オリオン座の息子がいて、彼にまた映画館をやろうよというが、実際にやるとなるとかなり面倒なことである。浪岡映画祭の関係者が中三デパートでオタク映画を数年、上映していて、これはよく見に行った。中三デパートがなくなり、もうミニシアターで映画を見られないのかと思っていたところ、今回のような有志がこうした企画をしてくれた。嬉しいことである。他にはビッグジャズバンドをしている団体があったり、落語会を開いたり、古書店をしたり、中古家具屋をしたり、いろんなことにチャレンジする若者が多いところである。ただ発想は非常にいいのだが、いかんせん人口が少なくて、東京では流行ると思うことでもなかなか弘前では続けられないのが残念である。なんとか地方に住みながら、地元民だけでなく、東京あるいは世界とネットで繋がり、商売できるようなモデルケースがないだろうか。今後とも地方では人口、とりわけ若者人口は急激に減っていく。それでもここで住みたい、何かをしたいと思う若者は多い。ただそれが商売となり、生活するとなると厳しく、ネット販売、東京での販売など、販路を外に向けないと厳しい。YouTubeで「92歳バレリーナ 伝説の朝ごはん」を見ていると、毎朝、”青研 葉とらずりんご100”を飲んでいるので、地元でお恥ずかしい限りだが、真似して購入して飲んでいる。経営状態は全く知らないが、この青研という会社は輸出も好調のようで、うまく行っているのだろう。青森、弘前市を一つの国と考え、他国(県外、東京、海外)に輸出を伸ばすような政策(県)が大事かもしれない。
若い人はチャレンジ精神でどんどん挑戦してほしい。
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