2008年9月5日金曜日

口蓋裂患者の矯正治療




 恩師である東北大学歯学部顎口腔機能治療部幸地省子先生の「口唇裂口蓋裂治療 顎裂骨移植術を併用した永久歯咬合形成」西村書店 2008 がようやく出版されました。数年前から執筆しているのは知っていましたし、西村書店からも出版の予告が出ていましたので、すぐに出るのかと待っていましたが、発刊に手間どったのでしょう。

 共著の九州歯科大学の高橋哲先生、東京大学の飯野光喜先生も、学生時代同じ下宿で遊び回っていた仲で、本当にこの本の出版は私にとってうれしいものです。

 唇顎裂、唇顎口蓋裂の患者さんでは、歯槽骨(歯が埋まっている骨)に裂隙があります。この部分は骨の連続性がなく、ちょうど谷のようになっているため、その部分には歯を動かすことができません。無理して動かしても歯が骨から出て抜けるからです。この谷の部分に骨を補填して埋めることを骨移植術といいます。きれいに骨で埋め立てれば、自由に歯を動かすことができます。

 そういった試みは古くからあったのでしょうが、最初に腸骨(腰のでっぱったところの骨)から海面骨(やわらかい骨)を取り出し、歯の萌出のため二次的にこの裂隙部に骨を移植したのは確か1972年ころだったと思います(Boyne)。日本で最初にこの手術をやりだしたのが東北大学歯学部の手嶋前教授で、1982年だったと思います。第二口腔外科でやっていました。当時、私は小児歯科に在籍していましたが、口蓋裂チームに参加し、そこで矯正治療の手ほどを受けました。その当時から今まで口蓋裂の患者さんの治療をすべて引き受けていたのが幸地先生です。おそらく日本で最も多くの口蓋裂の患者さんの矯正治療を直接行った先生でしょう。

 私が口蓋裂チームにいた1983、4年ころはまだ骨移植もやり始めたばかりで、骨移植を行っても、谷を完全に埋めることができず、上の方に橋がかかった程度でした。歯を十分に動かすことはできません。入れる骨の量が少なかったことと、原法に従い、上から骨をいれていたため入り口が小さかったことが原因でした。その後、さらに症例を増やし、骨の量を多く、また骨も横から入れるようになると、成績は格段に良くなり、ほとんど谷はすべて骨で埋めることができるようになりました。この間の数年ほどは大変だったと思います。これによって歯を自由に動かすことが可能になり、ほぼ健常者と同様の咬合に仕上げることができるようになりました。幸地先生の本にも多くの症例が載っていますが、すばらしい症例です。

 おそらく口蓋裂の矯正治療について最初のまとまって記載されたのが「口蓋裂-その基礎と臨床- 宮崎 正 編」 医歯薬出版 1982年 だったと思います。この本では、口蓋裂の外科手技や発音、矯正治療などが載っていますが、矯正治療はその一章を占めるだけで各大学も試行錯誤しながら治療を行っていました。その後、東京歯科大学の一色泰成先生が「唇顎口蓋裂の歯科矯正歯科治療学」 医歯薬出版 2003年 を発行しました。ただ一色先生には大変申し訳ないが、症例はかなり前近代的であり、あまりいい仕上がりではなく、大変がっかりもしましたし、憤慨もしました。骨移植を用いた現在の矯正治療では、もっといい仕上がりにできると、私も「Hotz床を併用した二段階口蓋形成術を行った片側性唇顎口蓋裂の矯正治療例」日本臨床矯正歯科医会雑誌,16:2-7,2005 を投稿しました。

 口蓋裂の患者さんの矯正治療は、0歳から始まり、成人あるいはそれ以降まで続く、本当に長期の治療が必要です。自分の矯正人生でどれだけ治療できるかと考えると本当に難しいと思います。それでも現在の口蓋裂患者の矯正治療は、最初の手術をいかに侵襲が少なく、顎骨の発育抑制を減らし、骨移植をすることで、ほぼ理想的な噛み合わせを作ることは可能になったと思います。

 今や東京大学の飯野先生は骨移植の分野では日本でも最もすばらしい手術をしていますし、九州歯科大学の高橋先生も骨移植部にインプラントを植えるなどの新しい手技にもチャレンジしていて、口蓋裂治療の発展に寄与しています。親友の活躍の中、私はというと何もやっておらず、反省しきりです。飯野先生も、高橋先生も同じ上杉荘という8室のおんぼろアパートに住んでいましたが、他にも大館市立病院の佐々木知一先生も口蓋裂学会でも多くの研究を発表しており、上杉荘メンバーは私も含めて口蓋裂の治療に関与しているのは何か不思議な気がします。

 こういったきれいな症例を数多く載せるというのは、治療の規範にもなりますし、目標にもなります。そういった意味でもこの本の出版は、口蓋裂の矯正治療において大きな意味を持つと思います。また幸地先生の長い臨床キャリアの集大成としても意義あるものです。

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