2017年9月12日火曜日

北朝鮮の攻撃力

140キロトン核爆弾が東京都庁に

 北朝鮮の脅威が連日、テレビなどで報道されているが、ある程度、軍事的な知識がある人なら、笑ってしまうようなものが多い。

 例えば、今回、北朝鮮で水爆が開発されたが、一発東京に落とされたら、どうなるかという予想図では、世界最大の水爆、99000トンのツアリー・ボンバのケースが示されている。これは北朝鮮の水爆 120キロトンの80倍であり、ミサイルでは運搬されないため、現在ではこうした超巨大な水爆はない。少なくとも東京を全滅させるためには通常規模の水爆では数発が必要だし、日本全土では数百発、アメリカ全土では数千発が必要である。現時点では北朝鮮にはこれだけの数の原爆、水爆、ミサイルはないし、今後とも、膨大な数を揃えるのは無理であろう。一方、日本、アメリカのミサイル防衛システムは昔に比べ格段に進歩しており、北朝鮮から数十発発射されても、目標に打ち込まれるのは数発くらいであろう。それでも大きな被害がでるのだが、アメリカの報復、原水爆攻撃は数百〜数千発の規模であり、ミサイル防衛システムのない北朝鮮では、全弾命中し、文字通り北朝鮮は壊滅する。アメリカは自国に核攻撃がなされば、自動的に核報復をする。北朝鮮の1発の核攻撃に対して数百発という非対称なアメリカの攻撃となる。これだけのリスクがあるにも関わらず、北朝鮮がアメリカに核攻撃するだろうか。さらに北朝鮮のミサイル潜水艦を恐れる向きもあるが、北朝鮮のロメオ級潜水艦は1950年代のもので、隠密性に欠け、出港からすべて監視され、外海に出た時点で、即、撃沈となる。戦争になれば、1時間もしないうちに撃沈となろう。さらにそもそも北朝鮮は韓国、アメリカと休戦中であり、核攻撃するなら、まず韓国、アメリカを攻撃するはずである。とりわけ核攻撃を確実にするならミサイルよりは爆撃機によるソウルへの核爆弾の投下であり、日本がソウルより核の先制攻撃を受けることはない。

 同じく北朝鮮の戦車、戦闘機は1950-60年代のものであり、ほとんど戦闘することなく、一瞬ですべて破壊される。制空権の完全にない状態の戦闘は、イラク戦争の例を挙げるまでもなく、ほぼ虐殺状態となり、北朝鮮の兵士の多くは、戦闘をする前に壊滅されてしまう。確かに通常爆薬を積む中短距離のミサイルは多く保有しているが、せいぜい火薬量1トンくらいのもので、第二世界大戦中、ロンドンにV2ミサイルが1300以上発射されたが、犠牲者は2500人程度であった。日本への攻撃と言っても、ミサイル防衛でかなり撃ち落とされるし、韓国国内にも使われるため、通常爆弾の中距離ミサイルを東京に数百発打ち込む余裕はないし、それも地下に逃げれば、ある程度防げる。現在の北朝鮮の工業生産規模は、一度に数千発のミサイルを発射すると、その後の生産は継続できない。備蓄しているミサイルを打ち終わると、お終いで、攻撃手段はなくなる。また化学、生物兵器の使用を恐れる報道もあるが、ミサイルによるこうした兵器の使用は効果が不確実であり、一方、使用は国際的には核使用と同じ批判を浴びる。核兵器による報復も許される。絶対にあり得ない攻撃法である。

 さらに韓国との国境には、数百の170mm自走砲があり、開戦と同時に数千の砲弾でソウルを火の海にするとしているが、数十キロの長距離砲(東京茅ヶ崎)では砲弾の火薬量が少なく、かりに当たっても一軒家が破壊される程度であり、大きなビルや地下では完全に防げる。さらに発射と同時に場所が特定される、あるいは発射前に特定され、巡航ミサイルで破壊されるであろう。制空権のない地域での自走砲は単なる的にしかすぎず、ミサイル、爆撃による餌食となる。

 こうして見ると、北朝鮮の攻撃能力はせいぜい数日しか無理であり、その弾薬、兵器の国内生産量、石油備蓄量から長期の交戦能力はない。さらに長期に渡る経済状態の低下と社会の貧困、飢餓により兵士の士気は低く、指導者、指導層を守ろうとする意欲に欠ける。軍事評論家、軍人は、最悪の結果を常に考慮する癖をもつが、あまり国民を脅すのはどうであろうか。当然、北朝鮮との戦争になれば、韓国でも数千人、日本でも数百人、北朝鮮では数十万人単位の犠牲者がでるだろうが、戦争とはそんなものである。前回の朝鮮戦争とは違い、今回の起こるかもしれない第二次朝鮮戦争は、中国は北朝鮮の味方をしない。開戦は北朝鮮によるアメリカ、韓国へのミサイル攻撃から始まり、米軍、韓国軍の反撃、空爆、ミサイル攻撃で制空権、制海権をとった段階で、地上部隊の投入は中国軍の方が速いかもしれない。中国軍による北朝鮮の指導者の排除、核兵器、設備の破壊、そして中国寄りの政権の樹立し、それを日米韓で承認して終戦となろう。

  マスコミを見ていると、一人の犠牲者がでるのを躊躇うようなコメントがなされているが、戦争とは犠牲者がつきものであり、いかに味方の犠牲者を減らし、敵の犠牲者を増やすかを工夫する。理想的には味方の犠牲者がゼロになれればいいのだが、それは実際には無理で、どこまでの犠牲者まで耐えられるかが、国のリーダーの考えによる。中国の毛沢東は一億人くらいの犠牲者は何ともなかったようだが、安倍首相がどこまでの犠牲者に耐えられるか、試されることがないことを祈る。

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