2022年3月13日日曜日

津軽人の悪い癖、悪口

 



津軽人の特徴の一つに、悪口好きということがある。津軽人が三人集まれば、必ず誰かの悪口を言う。例えば、マイクロバスで弘前市からむつ市に行くとしよう。車で2時間くらいの距離である。このドライブ中の車内の会話の80%はその車内にいない誰かの悪口となる。逆にあの人は素晴らしいと言った賞賛の話はほとんどない。私のような関西人も話好きで、人の悪口も好きだが、それでも50%は悪口であっても、残りの50%はあの人はすごいといったいい話も多い。津軽人の場合、悪口の頻度が高いと言うことになる。

 

昔、25年以上前に、地元のロータリークラブに入った時、クラブの宴会があった。隣に、ある会社の会長さんがいて、新入会員だから他の会員を紹介してあげようと、あちらのメガネをかけている人がお茶屋、隣の人がせんべ屋、あそこにいるのがりんご屋と次々に説明する。もちろんお茶屋といっても何軒も支店をもつ大きな店だし、せんべ屋といっても青森県で一番大きな津軽せんべいの会社、りんご屋はりんご加工をする大きな会社の社長である。この会長、見た目は温厚で、紳士的な風貌であるが、悪口好きである。普段は仲良く雑談しているが、本人がいないと、“あのせんべや”はと悪口となる。

 

私も長年、こちらにいるうちに、津軽の風土に染まり、ずいぶんと悪口好きになった。一方、人を褒めることはあまり聞かない。実際の会話となると、まず“Aさんは子供の教育にも熱心だし、PTA活動も全力でしてくれて大変尊敬するよ”と発言すると、これに賛同する声はなく、必ず「そうはいっても、———のようなことがあった」から始まる。そして他の人からも次々と悪口となる。

 

弘前の慈善家、佐々木五三郎は、凶作による津軽の孤児の悲惨さに胸を打たれた。個人で何とかしようと、最初は何人かの孤児を自宅に引きとり、さらに孤児が増えると、とうとう孤児院まで開設する。個人による経営は大変で、孤児にも物を売りに行かせたりしたが、他からの支援がない状態で、独力で孤児院を継続した。すごい人であるが、当時の津軽人からは尊敬されず、単なる変わり者とされ、影ではバカにされていた。慈善家の多いキリスト教徒や弘前市からの支援もなく、苦肉の策、慈善館と言う映画館を経営してようやく孤児院の経営を軌道に乗せた。岡山の石井十次は児童福祉の父と尊敬されているが、彼の場合は、孤児院経営のバックに大原財閥の大原孫三郎の支援があった。同じような孤児のために慈善活動をしても岡山でも郷土の偉人、そして津軽では変人となる。尊敬されることはなく、悪口も言われていたのだろう。

 

こうした津軽人の悪口言いは、別の言葉で言うと「津軽のひっぱり」と同じで、誰かが何かをしようとすると必ず誰かが足を引っ張る。会議などで最後に議論を閉めようとすると、いつも誰かが議論を最初に戻すような発言をする。それは最初に決めたでしょうといっても、また最初からの話に蒸し返す。まとまるということがなかなかできない人がいる。そのため、私の診療所のある町内でも、道路拡張のために店をセットバックすることになっているが、道ギリギリに店を作る人がいルため何十年経っても道を広くできない。

 

そうかといって人に悪口を言われるのが好きなわけではなく、悪口がバレて絶交になった人を何人も知っているが、それでも悪口の誘惑には勝てない。困ったものである。雪深い土地で、娯楽も少なく、人の悪口が炉端の楽しみであったのかもしれない。


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