2022年3月20日日曜日

弘前のトリセツ


百石町北側
百石町北側

上土手町?


「弘前歴史街歩き」の売れ行きが気になっていて、本屋を訪ねるが、売れているかどうか全くわからない。”honto"というネット書店の国内旅行ガイド/東北地方の1週間のランキングでは一位、るるぷ仙台松島宮城'23、二位、さくらふくしまに続き、三位に弘前歴史街歩きが入り、そこそこ売れているように思えるし、かくみ小路の”まわりみち文庫”でも13冊ほど売れて、先日10冊の追加納入をしてきた。またYahooショッピングの歴史の本その他ランキングでは7位に入っている。ところが、これまで出版した4冊の本、全て最初の頃は必ず弘前の本屋(紀伊国屋書店、ジュンク堂弘前店)の販売本ランキングに載ったが、今回は全くかすりもしていない。1週間で5、6冊売れれば10位くらいに入るので、ランキングに入らないのは、実店舗ではほとんど売れていないことになる。中古本の転売を狙って業者がネットで買っているのだろう。増刷はしない、400冊売り切りで終了なので、欲しい人は、青森図書、北方新社、hontoなどで購入して欲しい。どうもamazonではなかなか取り扱ってもらえない。

今回は、「弘前歴史街歩き」の内容にも少し重複するが以前、メモした弘前、津軽のトリセツを書いておこう。


1.     幕末の頃の人口(1850)

 江戸時代末期の日本の都市人口は今とはだいぶ違います。ランキングでは

 

 1.江戸115万人、2. 大阪33万人、3. 京都29万人、4. 名古屋12万人、5. 金沢12万人、6. 広島7万人(1873, 8. 和歌山6万人(1873)、9. 仙台 4.8万人、10. 徳島 4.9万人(1873, 11. 萩 4.5万人、12. 首里 4.5万人、13. 熊本4.1万人、14. 堺 4.1万人、15. 福井 3.9万人、16. 弘前3.7万人、17. 松江3.6万人、18. 富山 3.3万人、19.  高知 2.8万人、20. 秋田2.7万人となっています。

 弘前の人口は、1850年で37000人、全国では16位、東北地方では仙台に続く大都市でした。明治6年の調査でも32886 人で全国22位でした。ところが2018年で177411人、全国では151位となっています。ちなみに青森市は1852年では7779人で、今は287648名と40倍近く増加しました。

 江戸時代の弘前の人口の内訳は、家中(士族、卒族)23431名、町方14086名、合計37517名(1853 年)で、家中が人口の62.5%、町方が37.5%となります。金沢で家中の割合が42.8%、松江で43.2%、高松で17.5%、鹿児島で34.6%、他藩に比べても家中の割合が高いことがわかります。

 

2。 弘前大学

 県庁所在地以外に国立大学があるのは、滋賀大学(彦根市)、信州大学(松本市)、弘前大学(弘前市)の3つだけです。滋賀大学は教育学部と滋賀医科大学は県庁所在地の大津市にあり、信州大学も工学部は長野市にあります。

 戦前、弘前市には旧制弘前高校がありましたが、青森師範学校や青森医学専門学校は青森市にあり、空襲で校舎が焼失したため、弘前市に誘致しました。国立大学(総合大学)名は、多くは県名(岩手大学、愛媛大学)や広域名(東北大学、九州大学)、あるいは県庁所在地(神戸大学、金沢大学)からつけられますが、それ以外の市名がつくのは弘前大学だけでしょう(筑波大学はつくば市よりは広域名から)。

 

3。 青森県の特徴

1)陸海空軍

 陸上自衛隊としては青森県には第9師団が配置され、約7000名の兵力を有します。さらに海上自衛隊は大湊基地やミサイル防衛のための釜臥山のガメラレーダーや車力分屯基地にはパトリオットミサイルを配備するほか、大湊航空基地もあります。また航空自衛隊は三沢基地があり、最新鋭のF35戦闘機が配備されています。青森県は本州最北部の地形から自衛隊の陸海空の大規模な基地が配置されています。

2)自給率

 食料自給率はカロリーベースによる食料自給率は118% で、全国4位、米は319(全国97)、野菜は247(75)、果実は579(33)、魚介類は289(64)とかなり高く、牛肉、豚肉、鶏肉も全国平均自給率の2から4倍となっている。ほぼすべての食料が自給できます。

 エネルギー自給率は、太陽、風力などの再生可能エネルギーによる自給率は10.64%、全国5位で、風力発電の導入量は日本一です。かって東通原子力発電所(110KW)が稼働し.東京電力1号機(138.5kW大間原子力発電所(138.8kW)が建設中、同規模の原発が他に2基計画中で、実現すれば電力輸出県となっていました。

3)三方が海

 青森県は日本海、津軽海峡、太平洋の3つの海に囲まれた県であり、同様な県は北海道を除くと山口県と鹿児島県、沖縄県くらいしかありません。日本海でのカニ、ハタハタ、太平洋のカツオ、サバ、サンマなど多くの種類の魚がとれます。

4)弘前市、青森市、八戸市

この3市はいまでも仲がよくありません。八戸市は、もともと八戸藩があり、盛岡藩のあった岩手県の方が文化、言葉、料理も近いところです。ところが明治になり、盛岡藩が反政府であったこと、下北に移住してきた斗南藩が困窮のため、弘前藩との合併を願ったことなどから、盛岡藩北部1/3、八戸藩と弘前藩の所領が一緒になって青森県が成立しました。これにより県庁所在地は、青森県の中心で将来的に発展の見込まれる青森市となりました。青森市は商業都市として発展したので、士族町として傲慢な弘前市とは反目します。



本町に唯一残る明治時代の商家、旧千葉酒造店です。何とか保存してほしい(3/21)


 






 

2 件のコメント:

pluto さんのコメント...

再びお邪魔いたします。

3枚目の画像は和徳大通りということですが、上の2枚は百石町通り北端あたりのようですね。紅葉飾りがあるのでおそらく10月か11月の撮影で、遠くにかくは宮川のタワーもかすかに見えています。

大きな建物の名画座は、旧作専門だったかどうかはわからないけど、古い洋画を上映していた映画館で、ビートルズ映画の3本立てがやって来ると、音楽好きの友達とよく観に行きました。
看板の見えるマスヤ自転車店は、ストリートビューで見ると今でも建物に名前が残されてますね。その隣の佐藤写真店は今も健在のようです。

「弘前歴史街歩き」は、さくら野3階の宮脇書店で買わせてもらいました。
「弘前藩いきものがたり2」と並んで平積みされて目立ってましたから、昔の弘前に興味のある人なら迷わず買っていくんじゃないでしょうか。
一読すると自分の知らなかったことだらけで、弘前生え抜きの古老でも及ばないおべさまっぷりに驚嘆いたしました。

その一方で、石郷岡眼科の老先生は子供心に気難しそうで怖い先生だったなとか、一中のそばの魚市場、遅刻しそうな時に敷地内を通って近道したなとか、その隣にあった小さな神社で悪臭に耐えながら銀杏の実を拾ったなとか、くだらないけど懐かしい思い出に浸ることができました。

私のようなくたびれたおっさんには一種のタイムマシンとして重宝する本ですが、新しいものにしか関心がないより若い人たちにこそ手に取ってもらって、知られざる過去の弘前の豊穣な世界を覗き込んでほしいものです。

広瀬寿秀 さんのコメント...

コメントありがとうございます。写真の説明不足で申し訳ございません。ご拝察のように1、2枚目の写真は百石町の北側です。まら3枚目の写真はおそらく上土手町と思われます。今回、本に記載したのは散歩コースにある建物の写真ですですが、それ以外の場所の昔の写真も多くあります。一部はこのブログでも紹介しました。本で紹介しました本町の旧千葉酒造店も明治の古い建物ですが、月曜日に行くと壊されていました。前の部分がの頃のを祈るだけです。できれば若者に古い町並みを自慢し、保存する活動に参加してほしいと思います。