2022年10月25日火曜日

1ドル360円の頃

 



アディダスのワールドカップ、これは高かった。






円安が進んでいる。ついこの前まで1ドル115円であったのが、あっという間に150円になった。30%近くの円安で、200円くらいまで円安になるという人もいる。私の子供の頃は1ドル360円の固定為替であったが、19732月から変動相場制となり、今のような日によって為替が変わる。

 

Iドルが360円であった当時、外国製のものは非常に高価で、なかなか買うことができなかった。1973年というと私が17歳、高校二年生まで、1ドル360円だったということになる。海外、特に欧米の製品は、舶来ものと呼ばれ、貴重なもので、大切にされた。具体的に我が家にあった舶来ものといえば、診療所にあったアメリカ、GE社の冷房機、親父のオメガの腕時計、ロックのレコード、レベル、モノグラムのプラモデル、アラジンのストーブ、親戚にもらったパーカーのボールペン、姉のバーバリーのマフラー、私のものといえば、まずリーのGパンとアディダスのサッカーシューズ。

 

サッカー部に入っていたので、最初はヤスダ、タチカワ、タイガーなどの国産のサッカーシューズを使っていたが、高校に入る頃になると無理をしてアディダスのサッカーシューズを買った。当時で一足、15000円くらいしていたから、今でいうなら3万円くらいの感じであった。箱を開けると独特な皮に匂いがしてこれが西ドイツの匂いかと思った。カンガルー皮の軽量のワールドカップというモデルは25000円以上した記憶がある。またジャージもウールでできた西ドイツ製のものもあったが、さすがに監督以外に着ている人はいなかった。

 

子供の頃、いとこの旦那がアメリカのマテルに勤めていて、姉にはバービー人形を兄と私には、レーシングカーなどをプレゼントしてくれた。解説書が英語なのがかっこよかった。レベルやモノグラムのプラモデルも日本のマルマンなどが扱っていたが、説明書は英語であった。

 

食料品では、まずコーラやファンタなどがアメリカのものだとしていたが、これは国内で作られたもので、ネッカフェのインスタントコーヒやバンホーテンのココアも初期は完全な輸入品であった。ワインなどは今では500円のフランスワインがあるが、昭和50年頃まで日本製の赤玉ワイン以外のフランス、イタリアのワインは非常に高くで、よほどのグルメでなければ、ワインなど飲んだことがない人が多かった。むしろ、高かったが、ウイスキー、とりわけジョニーウオーカーが日本では人気があった。赤でも1万円くらいしていた。手軽な輸入品としては、台湾バナナと天津甘栗が、人気があった。これも当時としては高かった。

 

カメラでは、ニコン、キャノンなどの日本製がライカ、コンタックスなどのドイツ製を席巻していたが、それでもやはりドイツ製、ライカという人がいて、またフィルムとなると、フジもいいのだが、発色の良いコダックのコダクローム、エクタクロームなどに人気があった。昭和40年頃になると、もはや舶来品でなければダメという商品はほとんどなく、国産品でもそこそこいい製品が出てきて、円安のため欧米に多く輸出された。特に繊維、衣料は品質が優れて安いのでアメリカで人気があったので、最初の貿易問題となった。

 

海外旅行となると、昭和40年くらいまでは、海外旅行した人は周りにおらず、パンナムの飛行機に乗るともらえたバックが、人気があったが、昭和40年以降はジャルパックという団体旅行で香港、ハワイ、欧米に行く人も多くなった。欧米の食費、滞在費が日本の数倍していて日本人旅行者は驚き、今とは全く逆の現象であった。

 

現在の円安傾向は、日本の製品が欧米の製品に劣っているのではなく、単なる日米の金利差と投機によるもので、かってのように1ドル360円まで上がることはない。仮に200円まで上がると、日本製品あるいは日本旅行のお得感は格別であり、貿易収支の黒字、そして円高となる。むしろ日本製は、中国製、韓国製とライバル関係となり、電化品、衣料、機械、車、全ての工業生産品が競争となる。値段による差がなくなれば、決して負ける相手ではない。一時は海外に生産拠点を移動した多くの会社も再び日本に戻ってくるし、昔に比べて相互関税が撤廃になっており、アメリカがインフレ、円が円安であれば、日本製の車をアメリカでは30%引で売ることになる。これは売れる。




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