2022年10月19日水曜日

ナンシー関

 



ナンシー関については、噂を聞いたり、週刊誌で記事を見たことがあったが、それほど気に留めず、もちろんファンではなかった。ところが2002年に亡くなり、すでに20年たつが、いまだにナンシー関のことが雑誌や本で取り上げられ、ついには生誕60年、没後20年を記念して「超傑作選 ナンシー関リターンズ」(世界文化社、2022)が発刊されている。根強いファンがいるのだろう。

 

私が最も驚いたのは没後十年に出版された「評伝 ナンシー関」(横田増生、朝日新聞社2012)で、通常、評伝となると、例えば昨年読んだ「児玉源太郎」(長南政義、作品社、2019)のような偉人あるいは、俳優で言えば、原節子、三船敏郎など名優があげられ、たとえ、一部の熱烈なファンがいてもナンシー関の評伝はあり得ない。もちろん一番驚いているのは亡くなったナンシー関自身で、自分の評伝が没後に出るとはこれっぽっちも思っていなかったであろう。

 

ところがこの評伝が面白い。ナンシー関は39歳で亡くなったので、没後十年といえ、友人、関係者はほとんど生きており、また記憶も艶めかしく、それらが一緒になって、この評伝は深みがある。ナンシー関の人生と言えば、青森から上京し、消しゴム版画で名が売れ、その後、主としてテレビ評論として雑誌などで記事を書くが、テレビには滅多に出ることがなく、当時においても、一部の熱心なファンがいたとしても、日本人全体の認知度で言えば、10%はいかない、マイナーな存在であった。それでも330ページを超える評伝は、青森から上京したメガネをかけた太った女の子が、懸命に生きていき、少しずつであるが、成功し、そして突然、倒れる姿を見事に描いている。

 

普通に考えれば、ナンシー関自身も、330ページ以上の評伝になるほどの人生を歩んでいないし、エピソードもないと思うだろう。それでも細かいエピソード、これは没後、時が経つと忘れられる性質のものであるが、を積み重ねていくと、漠然とはあるが、本人の本質に迫ることができる。そうした意味では、どんな人物であっても、その人が人生の成功者であろうとなかろうと、こうした評伝は書けるのかもしれない。

 

この本を読んだ後に、「超傑作選 ナンシー関 リターンズ」を読むと、ナンシー関も毒舌の好きな津軽人と性質を受け継ぎ、太宰治、葛西善蔵、棟方志功、寺山修司、福士幸治郎の系統につながることがわかる。こうした人物は、作品だけでなく、その生き方自身も独特で、多くのエピソードを持ち、それもあってか、没後に評伝が出ることが多い。共通して言えるのは、才能もあるが、ブレない、群れない、濃いといった言葉が浮かぶ。吉幾三的と言えばいいのかもしれない。とにかくキャラが濃く、普通の人から見れば、その人の普通の行為がエピソードとして記憶に残る。もちろん大したエピソードでなく、車の免許取得に三年かかったとか、高校の身体測定から一度も体重計測したことがないとかの類であるが、少し変なのである。もし生きていれば、ちょうど60歳。今のようなSNN時代であれな、あの毒舌は何度も炎上したであろうが、政治色のない毒舌家として認知度90%の売れっ子になっていたのは確実であろう。

 

彼女と私の共通点は、年齢が6つ違うが、若い時にオールナイトニッポンを聞いていたこと、ビックリハウスに投稿していたが挙げられる。私はビックリハウスのビックラゲーションという投稿コーナーに投稿し、掲載された。「市バスに乗っていると、誰もいない、降りない停車駅に止まった。不思議に思っていると、運転手が「どうか遠慮しないで、降車ボタンを押してください」とアナウンスしていた」というものであった。実際の話で、降車ボタンを怖くて押せない奴なんかいるわけないと思っていた。今考えると、案外こうした人は世間にいるからなのかもしれない。

 

子供の頃の話であるが、少年マガジンでは読者の似顔絵を描いて送るコーナーがあり、何度か投稿して名前が載ってことがある。タモリ倶楽部の空耳アワーにも投稿したが、これは不採用であった。またNHKBSで昔、6時頃からアニメがあり、番組の最後に読者の似顔絵コーナーがあり、娘の描いた絵に手を加えて二度ほど採用されたことがあった。私もちょっとした投稿マニアなのかもしれない。

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