2017年9月6日水曜日

津軽女性とエドウィン・ダン

 海外の男性からすると日本女性は理想的で、あこがれである。小柄な体つき、かわいい顔、すべてが女性らしく好かれる理由であるが、夫に尽くす、ひかえめで、家庭的であるなど内面的なところにも惹かれる。実際、外国人男性と日本人女性のカップルは多い。 

 外国人の方に聞くと、日本の女性は、これは中国や韓国の女性に比べても、自己主張が強くなく、料理、洗濯、掃除など古典的な女性の仕事をしてくれ、旦那にとっては、結婚して本当にありがたいようだ。例えば、アメリカでは、主婦はもはや料理はほとんどせず、各自が冷蔵庫から食べたいものを出してきて勝手に食べる。今日は、ラザリアを食べたいと思えば、それをレンジでチンして食べる。そのため、家を建てる時、きれいなキッチンを作るがいくら経っても汚れない。それに比べて日本の女性は、朝早く起きて、朝食は作ってくれるは、弁当は作ってくれるは、感動ものである。

 さらにいうと、日本の女性の中でも津軽の女性は、昔から人気が高く、北海道では、嫁をもらうなら津軽の女性をもらえというほどであった。働き者で、辛抱強く、情が深いいため、過酷な土地である北海道の暮らしにも耐えてくれるからである。今でこそ、北海道は飛行機などで東京とダイレクトに繋がっているが、昔は隣県として青森県の存在は大きく、明治時代、多くの青森商人が函館などで活動した。

 こうした日本女性、津軽女性の魅力に最初にノックアウトされ、ついには日本に永住した人物がいる。北海道開拓史、とくに酪農業において、大きな功績を残したお雇い外国人のエドウィン・ダンである。アメリカ、オハイオ州出身のダンは、ちょっとした好奇心で、明治六年に来日し、東京、北海道の農園で働くが、そこで青森県南津軽郡尾上村出身の松田ツルと出会う。後のダンはツルのことを、「私は自分の取った道を、一瞬といえども後悔したことはないということをここでいっておきたい。私は彼女を通じて日本の最も美しい一面、すなわち日本の立派な女性達を知る機会を得たのである。私の見方は多少偏っているかもしれない。しかし、日本の婦人ほど、非利己的で、自己犠牲的で、愛すべきものは世界中どこにもありように思われる」、さらに「皇后陛下が私の妻の訪問を非常に喜んで迎えられ、そのお蔭で私の妻は、宮中の淑女たちや東京の上層階級の間に社交的な地位を確立することができた。東京の貴婦人たちと私の妻が親しければ、そういう足場を作るのは難しいことであったであろう。彼女がいなければさぞ寂しかったろ思われる北海道での長い生活に、よく連れ添ってくれた私の妻は、宮中でのエチケットや東京の社交界の空気にいともたやすく慣れてしまったようである」と最大限の賛辞を送っている。


 この松田ツルの写真が残っていないのでわからないが、きれいな人でダンも惚れたであろう。こうしたことは「エドウィン・ダンの妻ツルとその時代(阿部三恵著、道新選書、1995)に詳しい。ツルについては、「南津軽郡尾上村87 番地 平民松田亀吉の妹」、「明治27年、日清戦争当時、旧尾上村松田平吉の長女、鶴子が、米国の日本駐留公使エドウィン・ダン氏の侍妾となり、ダン氏の帰国と共に渡米し、アメリカ人になった」、「猿賀代官所の前に家があり、津軽藩の御用達もした商人」、「生まれたのは万延元年(1860)であり、小学校教育は受けていない」と記され、さらにダンとの出会いは、函館郊外の開拓使御用の「峠下ホテル」で女中をしていたツルと出会った。ツルとは幸せな家庭を作り、娘ヘレンも授かったが、明治21年(1888)に慢性胃炎のため28歳で亡くなる。ダンはその後、日本人女性と再婚し、84歳で日本にて亡くなる。

2017年9月4日月曜日

昔の津軽の冬 2


新潟、十日町


 前回の続きです。「新ひょうたんなまず」からです。

ベンジャ
 ベンジャは日本式スケートで底が三角な下駄に鉄を打ち付けたもの。この鉄はスケート同様なまのだった。ベンジャの乗りかたは、いまのスケートと同じで、速さを競うばかりでなく、「いっぽ」といって片足ですべるものもあった。また「がに」といって横すべりもした。腰をおろし。股をひろげ、ベンジャを横に一直線にするのである。映画でみるとスケートの妙技には驚嘆するが、下駄すけ^ともなかなか見事な芸をやったものである。ベンジャの鉄の高さは、はじめは一分か二分のをはくが、大きな子供は八分だの一寸だのをはいた。(略)ソリすべりは、一人のりから五・六人のりまであったが、なるべく小さいのを用いた。先の一人はベンジャでカジをとる。そのうしろの乗り手もベンジャをはいて両足をひらいている。一番うしろに乗る人は、はじめ押して走り、勢いのついたところで飛び乗り立ったまま滑行する。

ベンジャとは下駄スケートのことで、下駄の底に鉄製の刃をつけたもので、明治39年に長野県下諏訪町の河西準乃助が発明したという。足袋の上からヒモで縛って下駄と固定した。今のスケート靴、フィギア〜ホッケー〜スピードのように、刃の長さがいろいろあった。

雪なだれ
「十日午後一時ころ中郡岩木村宮地の岳陽保育所で屋根雪が落ち、下で遊んでいたこどもが下敷きとなり、二名は直ちに救出されたが、残りの二名は死亡するという事件が起こった」(東奥日報)主任保母さんは「暖かくなったので、軒下で遊ばないように、こどもに注意し、きょうも屋外にでたこどもを、つれもどししていたのに」とくやんでいた。この場所には雪のカマコが作られてあったので、四人のこどもはそこに入って遊んだらしい。この日の屋根雪は五、六寸しかなかったが、ぬれ雪が二丈五尺の高さからおちたのでこどもの力でぬけだせなかった。

かまくらと言えば、秋田が有名であるが、青森県も雪が多いところで、子供達の冬の楽しみとしてカマコ(かまくら)を作ったのだろう。冬でも子供達は遊ぶことが好きで、坂やカマコ、雪だるまを作ったり、雪ぶつけ(雪合戦)、ソリ、ベンジャで遊んだ。

アマゲン
アマゲンは「雨返し」で、冬、雨が降るとそのあと嵐になって吹雪くのをいう。きょうの吹雪はそのアマゲンであった。フギドリは「吹雪倒れ」、吹雪に人命をうばわれるのをいう。きょう私らが自動車がフギドリして、あやうく助かったのであった。アマゲンやフキドリは、関東から南のほうの人には口で説明したくらいではとてもわかってもらえない。

雨返しとは“冬の寒さが緩んで雨が降った後、吹雪となることをいいます。寒さが緩んで雨となるのは、低気圧が接近して暖気が入ってくるからで、この低気圧が通過すると、冬型の気圧配置となって吹雪となります。日本海を進んだ低気圧が発達しながら北海道付近を通過するときに雨返しが顕著に現れます”となっている。

おば雪
「オバゆきふれば、猿のケツ、まっかだ」灰のような粉雪が、目もあけられぬほど、吹きすさみときは、大人も子供も家の中に閉じこもるほかにない。兎も猿もふるえながら、木の洞穴かなにかにじっとひそんでいるにちがいない。(略)オバ雪はノソノソと降るのは、雪遊びを楽しむ子供にとっては、とてもうれしい.山のお猿さんも、オバ雪が降ると、だまっていられなくなって、おシリをまっかにして、とびまわることだろう。綿をちぎったようなオバ雪が、すぐ先もみえないほどふりしきるのを、窓ガラス越しに、じっと見つめていると、自分の体が天にのぼってゆくような錯覚をおこす。

 オバ雪とはぼたん雪、結晶の大きな雪のことで、粉雪は硬く、細かな雪のため傘をさいていても音がなるほど強く降るが、オバ雪となると、やさしく降る。一気に積もってしまうが、柔らかくて軽いので、子供達にとっては、扱いやすい雪なのであろう。


2017年9月3日日曜日

昔の冬の津軽




 ブラタモリ弘前の撮影前にディレクターから、江戸時代の冬の暮らしはどうなんですかという質問を受けた。明治二年弘前絵図には坂マークがあるが、なぜわざわざ絵図に坂のマークをつけたのか。冬の間、道に雪が積もると、荷車運行に難儀するためにつけたのではと答えたが、荷車の配送人からすれば、絵図の坂のマークがなくてもかまわない。屋根雪は、地震の際に家屋の倒壊に繋がるので、藩法で雪下ろしが奨励されていた。その雪はというと、家の前庭、後ろの畑に捨てられたと思うが、さらには道にも積まれただろう。雪が両隣の家から捨てられると次第に道は狭くなり、通行は難しくなる。そのため、往来の多い道では、整地が必要となる。道に積まれた雪は除雪、排雪、あるいは踏み固め、荷馬車が通れるようにする。今では市のシャベルカーやラッセルカーなどで除排雪がされているが、当時でも往来の多い主要な坂では人が入って整地しなければいけない。その箇所として絵図の坂マークを記したのかもしれない。ただ江戸時代の庶民の雪の始末の具体的な方法はほとんどわからない。あまり当たり前すぎて、書物にほとんど書かれていないからである。それでも戦前までは、まだ江戸時代の習慣が残っていた。というのは戦前まで農家の冬の靴と言えば、各種のワラで作った靴であり、ゴム長靴が普及するのは昭和も30年以降のことである。そこで江戸、明治時代の冬の弘前の暮らしを調べるため、少し文献をみてみたい。
 
 「新ひょうたんなまず」(甘茶勘平著、みなみ新報社、昭和33年)

雪囲い
ひろい屋敷のぐるりが、丈余のワラ垣で黄色に色どられるのは、いかにもぬくぬくとして、豊かで福福しい。庭木にまでも、ワラ帽子をかむせると、ひとしお平和で、その家の人たちの人情があついようにおもわれる。子供のころの冬の夜、雪囲いをあさって、雀をとった。農家のワラの分厚い雪囲いは、雀にとって、暖かいお宿でもあった。ふりしきる雪がやんで、寒月がこうこうよ照っている。雪囲いを棒でたたくと、眠りをさまされた雀が、あわててバタバタと飛びだすが、目がみえないので、すぐに目の前にとまる。それを手づかみするおもしろみは、わすれがたい。

明治頃の想い出と思われるが、家中、雀が中にいるほど、かなり厚いワラで覆ったことがわかる。

ゴム靴
むかしの農民は、夏冬をとおして、足にはくものはワラでつくったものに限られていたといってもよい。いまの人は、ゴンベ、クヅ、ツマゴといっても、それをなんのことか知らないだろうが、これは津軽の百姓が、冬の雪みちに履く、ワラでつくったハキモノの名である。ときおり、農産物品評会にでるのをみた人は知ってのとおり、すぐれた民芸品であるが、つくる手間がたいへんなわりに耐久力がないので、経済的にひきあわない。ゴム靴なら1年も2年も履けるから、そのほうが徳用なのである。子供の冬の履物には、ゴム靴はかけがえのない必要品、である。このゴム靴も、日本にはじめて輸入されたときは、すこぶるゼイタク品であったそうだ。明治何年かに百円もしたというのだから、今なら三万円も、五万円もの値段である。いくら水がもらない、ドロによごれても洗えばキレイになる、といってもこんな値段では。エライ役人や大金持ちでなければ買えるわけがない。それがだんだん安くはなったが、大正のころはまだ高かった。たしか、大正七八年だが、仲町の葛西という小間物やで、ゴムの短靴を売り出した。それはウラのつかないものだったが、値段は三円いくらであった。いまの金にすると千円以上である。

 この本の書かれた昭和30年代の物価は今の1/10なので、明治で三十万円、大正時代で一万円以上となる。年配の方が冬になると、デパートにも黒いゴム長靴を履いてくるが、昔は高級品で、贅沢品であったからであろう。ゴンベ、クヅ、ツマゴは、ワラで作った長靴であろうが、その種類についてはわからない。江戸時代も冬の靴はこうしたワラでできた長靴なのであろう。

2017年9月1日金曜日

北朝鮮への反撃




 8月29日の朝6時、急に携帯電話が鳴るとともに、外でもサイレンがなっていた。北朝鮮からミサイル発射があって、こちらに向かっているとのことであった。眠気が吹っ飛んで、NHKのテレビを見ると、北海道、東北地方を越えてミサイルが飛んでくるということであった。最終的には北海道の東南沖に着弾したが、朝からぶっそうなことである。

 日本政府は、これまでのイージス艦によるミサイル防衛、PAC3に加えて、新たに陸上型イージスミサイル防衛を備えることを決めた。攻撃より防御の方がよほど金がかかる。陸上型イージスは一基、700-800億円で、全国をカバーするとすれば3セット必要で、しめて2000億円以上の費用がかかる。これでも最低限の防衛力で日本全土をくまなくカバーするにはミサイル施設、レーザー施設、警戒衛星など、おそらく数兆円の費用がかかる。一方、北朝鮮のミサイルは随時、場所を選ばず発射できるため、それを阻止するのは至難の技といえよう。

 最終的には、日米中韓の望みは、北朝鮮の核、ミサイル放棄と改革開放経済化であり、金王朝が崩壊して、集団的な指導体勢になれば、中国の指導のもとにそうした状況になるだろう。実際、中国の場合、鄧小平以前の時代は、現在の北朝鮮と似たような国であり、毛沢東の大躍進では一千万人以上の餓死者を含む犠牲者がでた。当然、北朝鮮の人々も現状に満足しておらず、できればよりよい生活、もっと具体的に言えば、韓国、中国、日本の人々の生活に憧れている。

 韓国の脱北者で作る団体は、2003年から風船にビラ、SDカード、それとドル、人民元を入れて、北朝鮮国内に散布している。これは効果が高く、北朝鮮当局もかなり神経を尖らせていて、風船を拾った者を処分したり、韓国にいる活動家を暗殺しようとしたりした。ただ韓国のおかしなところは、こうした運動に左派グループが反対し、取締られるようになった。そのため、現在では隠れるように民間のグループが細々と実施している。

 これは費用がかからず、非常に有効な方法で、風向きさえ予想されば、北朝鮮全域に風船を飛ばせる。例えば、一個の風船に10ドル札を入れるだけで、北朝鮮の人々はむさぼるように拾うであろうし、仮に一万個の風船を散布しても費用はしれている。またアメリカ、日本、韓国による北朝鮮向けのラジオ放送も有効で、多くの北朝鮮の人々は不法に聞いている。昔は韓国のテレビ放送を見ようとする者もいたが、今はビデオなどで韓国ドラマを見ている。日本海に海賊放送船を周回させ、韓国のテレビ放送を北朝鮮のテレビで見られるように電波を流すのも効果的であろう。また北朝鮮の防空網は穴だらけであるので、そうした穴に無人機や偵察機を飛ばすのも効果が高い。領土内に自由に他国の飛行機が飛ぶことは独立国としては耐えられず、必ず防御しなくてはいけない。そのためには常に防空体制を整備し、必要あれば飛行機をスクラッブル出動しなくてはいけない。それでなくとも石油のない北朝鮮は、こうした行動はきつい。同様に領海に漁船、護衛艦、潜水艦を侵入させ、その事実を公開すれば、対抗手段、すなわち領海での巡視が必要となり、また金がかかる。これに対する核、ミサイルによる反撃はできず、同じような手段による報復しかできないが、日米韓ともそうした報復は痛くもない。

 こうした北朝鮮に周囲の国、日本、アメリカ、韓国がさまざまな事でちょっかいをかけることは、経済的に苦しい北朝鮮にとっては、ミサイル発射で悩まされる日本以上に効果が高く、ミサイル防衛に費やす費用よりはるかに安くつく。攻撃は防御より金がかからず、日本政府もサイバー攻撃、宣伝戦、領空領海侵犯など、日米韓と協力して、防諜活動を積極的にする時期がきたのかもしれない。さらに言うなら、脱北者や中国東北部の朝鮮族に資金提供をして、北朝鮮内の暴動、破壊工作、反体制派の支援を図るのもいいし、日本国内の北朝鮮の工作員を金で裏切らせるのもよかろう。戦争を避ける方法と言えば、野党は外交、話し合いと叫ぶが、もう一つの方法としては、こうしたダークな活動がある。日露戦争における明石元二郎大佐のロシアでの活動は有名である。日本が国として真の自衛権を得るためには、こうしたダークな活動も平気にできるだけのしたたかさが求められるし、軍事予算的にもかえって安くつく。ただこうした活動源であるところの韓国が、全く北朝鮮勢力、左派に染められ、日米の思惑通りに動かない。衛星や無線傍受による情報収集は日米でもできるが、現地に入っての実際の防諜活動は、朝鮮語を話せる韓国人がもっとも適しているのだが。