2009年1月3日土曜日

鯵ヶ沢





 1月2日から家族そろって青森県の西海岸の鯵ヶ沢に行ってきました。一度、五能線に乗ってみたかったので、リゾートしらかみのボックス席での約1時間の旅です。ボックス席は十分に6名は座れる広さに4名なので、かなり快適で、また新春ということで津軽三味線の生演奏も車内でやっていました。グループで行くひとは、絶対にこのボックス席がお勧めです。

 五能線は弘前から鯵ヶ沢より鯵ヶ沢から能代の日本海に沿った路線が景色もきれいで最高と言われますが、今回はちょっぴり堪能しただけです。さすがに冬の日本海は荒々しく、波と風がびゅうびゅう鳴り、また数百匹のカモメが海の上を周回しています。ホテルはグランメール山海荘というところに泊まりました。きれいなホテルで料理もまずまずでしたが、部屋の暖房が暑く、夜は暖房を止めても暑くて汗びっしょりの状態でした。さすがに冬仕様の暖房でしょうか、サウナ、温泉も熱く、相当体重が減ったかもしれません。

 夜はさすがに寒くて、露天風呂には行く気がしませんでしたが、朝行くと日本海がまじかに見られ、気持ちよい入浴でした。温泉には加齢臭を予防する柿渋という石けんがありましたが、何となく加齢臭が減るようで、まんまと売店で買ってしまいました。この製品はおじさん心理をうまくついたものだと思います。

 帰りの電車の中で、前回のボロ布文化について考えていました。明治中頃まで綿の文化がなかった津軽、暑い日本の夏を過ごすための京風の日本家屋、こういった住衣環境でよく、寒い冬の津軽を昔のひとは過ごしてきたものです。本来なら、綿がなかったなら、ウサギや熊などの動物の毛皮を使うべきですし、また住居も夏は涼しいのですから、冬用の住宅があってもよさそうですが、そんな工夫をしたような形跡がありません。ただひたすら辛抱した、あるいは麻という保温力の全くない布を使ったボロ布というのは、何だか悲しい気分にさせられます。いくら仏教では動物の食用や毛皮の使用がマタギなどの少数のひと以外は禁じられていたとしても、生活上もっと自由にできなかったのかと思われます。冬の寒さについて言えば、そういった制約のなかった縄文時代の方が快適だったかもしれません。こういった工夫のなさ、本来なら住衣環境そのものに工夫すべきなのですが、麻の切れ端で何度も丁寧に修復する、防風林を作るなどのやり方は、今に通じることだと思います。

 五能線にSLを走らせる運動があるのは以前紹介しましたが、実現できれば観光の目玉になると思います。できれば弘前、五所川原、鯵ヶ沢、能代から秋田に行くのではなく、できれば能代から大館を回る周回で運行してほしいものです。

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